この項目では、武家の藤原南家工藤氏流入江氏について説明しています。
公家・華族の藤原北家御子左流入江家については「入江家」をご覧ください。
入江氏
.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}三つ輪の上の輪の内甃(みつわのうえのわのうちいしだたみ)
本姓藤原南家工藤氏流
家祖入江維清
平安時代後期
歴史
平安時代
鎌倉時代と同一の可能性あり)が、千二百余騎で討幕軍に参加している。その時の功により駿河国入江荘の地頭職を保っている。
南北朝時代まで退かせ、東下して来た足利尊氏が乱を鎮圧、その後 足利氏に属した。
その後、天平7年(1352年)の観応の擾乱では、尊氏方に属し武蔵野合戦において春倫が戦死し息子(甥の可能性あり)の入江資義(入江春則と同一の可能性あり)が高槻城を築城、居城とした。 戦国時代には細川氏の被官となる。しかし両細川の乱で細川氏が弱体すると勢力を強めた三好氏と行動を共にするようになり、永禄12年(1569年)1月の本圀寺の変で春継 江戸時代に入り、春継の子景秀
戦国時代
江戸時代
系譜系図
太字は当主、実線は実子、点線は養子。※ 清和源氏満政流説有り。
工藤時信
入江維清1
清房清定2[原氏]
原維仲
維綱[野辺氏]
太田家清景澄[蒲原氏?]
清実3景兼
清綱[興津氏]
興津維道[天野氏]
天野景光清武4[船越氏]
船越遠兼景義
[岡部氏]
岡部泰綱清政5[吉川氏]
吉川経義
清次6
直清7
経清8
胤清9
清樹10
清村11
清貞12
清治13
春倫14