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出典検索?: "兜橋"
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出典検索?: "兜橋" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年5月)
兜橋
右岸川下から
左岸川上から
(写真はいずれも2006年10月)
基本情報
国 日本
所在地福島県伊達市梁川町
交差物件阿武隈川
用途道路橋
路線名福島県道104号川前梁川線
竣工1980年
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度53分34.5秒 東経140度38分37.2秒 / 北緯37.892917度 東経140.643667度 / 37.892917; 140.643667座標: 北緯37度53分34.5秒 東経140度38分37.2秒 / 北緯37.892917度 東経140.643667度 / 37.892917; 140.643667
構造諸元
形式3径間連続PC箱桁橋
全長155.0m
幅5.5(9.0)m
地図
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関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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兜橋(かぶとはし)は、福島県伊達市梁川町にある道路橋である。当頁では前身となる渡船である「兜の渡し」についても述べる。
概要
全長:155.0m
主径間:90.0m[1]
幅員:5.5(9.0)m
形式:3径間連続PC箱桁橋
竣工:1980年[2]
宮城県境までほど近い一級水系阿武隈川の福島県内最下流部にかかり、福島県道104号川前梁川線を通す。西詰は梁川町五十沢字切立に位置し、国道349号につきあたる丁字路となっている。東詰は梁川町舟生字山田に位置し、当県道が南へ屈折し、また阿武隈急行兜駅に向かう市道が北へ分岐する三叉路となっている。1980年に宮城・福島両県営渡船である兜の渡しを代替するために建設された[3]。 国道349号沿いに設置されている兜の渡し跡碑によると、明治9年、周辺住民に対し有料の渡船の許可が与えられ、明治19年に長瀞の渡(現在の宮城県伊具郡丸森町耕野)を兜に移し宮城県営の渡船となる、とされる。 大正8年4月にいわゆる旧道路法が施行されると、公道に接続する渡船場が道路の附属物として私人経営から県営化が可能と考えられ、宮城県側受益地域である耕野村、大張村、舘矢間村長連名で大正9年11月に県営化の請願書が宮城県知事へ提出された。
兜の渡し