児童養護施設
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児童自立支援施設」あるいは養護学校とも呼ばれる「特別支援学校」とは異なります。

児童養護施設(じどうようごしせつ)とは、保護者のいない子ども虐待されている子どもなどを自立まで養護する施設のこと。家庭裁判所少年審判で保護処分となった刑事未成年である14歳未満の少年や少女が送致されてくる場合もある。略して養護施設(ようごしせつ)とも称する。

児童福祉法に定める児童福祉施設の一つ。
定義

児童福祉法41条は、「児童養護施設は、保護者のない児童[注釈 1]、虐待されている児童など、環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設」と定義する。児童相談所長の判断に基づき、都道府県知事が入所措置を決定する児童福祉施設である。
概要

入所対象者は、1歳以上18歳未満の幼児(満1歳から、小学校就学の始期に達するまでの者)及び少年(小学校就学の始期から、満18歳に達するまでの者)である。場合によっては20歳まで延長できる。18歳の高校3年生卒業まで施設に居られるのも措置延長によるものである。(児童扶養手当法のように年度区切りだからではない)。乳児(1歳未満の者)はいったん乳児院への入所となる。

2005年(平成17年)の児童福祉法改正によって、安定した生活環境の確保などの理由で特に必要な場合は、乳児も入所させることもできるようになり、同じように乳児院では1歳以上の幼児を入所させることができるようになった。

厚生労働省「社会福祉施設等調査」では、2014年10月1日現在、児童養護施設は590施設、入所定員は33,008人、在所児(者)数は27,468人(在所率83.2%)である。施設では児童指導員保育士等が働いており、職員数は16,672人[1]

厚生労働省「児童養護施設入所児童等調査」では、2013年2月1日現在、入所児童の平均年齢は11.2歳、平均入所期間は4.9年である[2]。2016年度の総施設数は615となっており、うち公立は37に対し、私立は578となっている[3]

また、

ひとり親家庭の保護者がやむをえない理由(病気・負傷など)で児童を養育できなくなったときの「ショートステイ」

ひとり親家庭の保護者が残業などで帰宅が恒常的に夜間にわたるとき、放課後に児童を通所させ、生活指導・夕食の提供などを行う「トワイライトケア」

などを行っている施設も増加傾向にある。

以前は「孤児院」と呼ばれていたが、現在はむしろ孤児は少なく、親はいるが養育不可能になったため預けられている場合が圧倒的に多い。中でも、虐待のため実の親から離れて生活をせざるを得なくなった児童の割合は年々増加している(2013年2月の調査では59.5%[2])。

日本では社会的養護の子どもたちの90%が施設で、10%が里親等という形であるが、これは世界的にも先進国の中では、ややいびつな形で児童の権利条約の原則からも外れ、権利委員会からも指摘をされているところ [4]である。ユニセフによると、子どもが施設で暮らすことになる主要なリスク要因として、家庭崩壊、健康面の問題、障がい、貧困、社会的サービスの提供が不十分であること、などを示すとされている[5]。ルーマニアの孤児院の児童数は、かつての10万人以上から約7,000人にまで急落するなど、世界的には施設養護から家庭的養護へと移行する風潮となっている[6]

「いまは引き取れないが、いつでも会いに行けるように、まだ施設で預かっていてほしい」「自分で育てるのは無理だが、手放すのは嫌だ」などの親の意向から、里親や養子縁組が進まないことがある[7]。なお、里親制度は特別養子縁組と異なり、里親は一時的支援を目的としており里親と子どもの間に新たな戸籍関係などは構築しない。里親支援者は一時的に養育をお母さんと一緒にやって行く、“お母さんのサポーター”とその制度を表現している[8]

里親等への委託や児童養護施設入所措置を受けていた者で18歳(措置延長の場合は20歳)到達により解除された者のうち、自立のため支援を継続して行うことが適当な場合には、原則22歳の年度末まで個々状況に応じて引き続き必要な支援を受けることができることとなった[9]

厚生労働省では2016年の改正児童福祉法を具体化した新ビジョンにおいて、原則就学前の施設入所停止や、7年以内の里親委託率75%以上など数値目標を定め、施設に対しては、入所期間を1年以内とし、機能転換も求めている。これにより、全国児童養護施設協議会側は数値目標を掲げることに反発を示し、新方針により児童養護施設は今後半数に減る懸念を表している[10]。都道府県に示す要領案を検討してきた厚生労働省の専門家委員会では、都道府県には数値目標の達成を求めない内容となった[11]。これらの背景には、急激な施設の方向性の転換に社会福祉法人が施設の有用性の問題から反発したこともさることながら、施設入所者が減ることにより、暫定定員が設定されて各施設の補助金が減額され、更にその後の定員削減につながり施設職員の雇用問題へと発展することも関係している可能性がある。暫定定員問題は、同じ児童養護施設で入所者が年々減っている母子生活支援施設の報告書に詳しい[12]。ただし、施設入所の決定権は児童相談所にあり、里親委託率も厚生労働省により都道府県別に公表されているため、その進捗状況については可視化されている。

全国児童養護施設協議会においても、反発のみではなく、平成29年度の事業計画において、小規模化、地域分散を見据え、また地域家族や里親との連携・支援は組むことについて、児童虐待の予防など社会の期待に応える点からも極めて重要と明記している[13]

国外では、子どもの施設養護と里親養育に取り組む国際協会FICEインターナショナルによると、欧州の大多数の国では施設養護から里親養育に移行したものの、「ユーロチャイルド」とユニセフの報告によれば児童養護施設に措置される子どもは増加し、その数は脱施設化プロセス開始前より多いという。FICEでは施設養育と里親養育を対立モデルではなく、補完し合うものとしてとらえている[14]。複雑な問題や行動上の問題を抱えた年齢の高い子どもは、里親での家庭における親密な関係を形成する準備ができていないケースもあり、またグループホームの方がケアの質を保てるなど、治療的入所型ケア等が適している場合もある[15]

なお、児童養護施設に入所する子どもの大学・専門学校進学率は11%程度に対し、里親養育下の子どもの大学進学率は例年20%程度で約10%上回っている[16]

2022年、厚生労働省は原則18歳までとしている自立支援の年齢制限を撤廃する方針を決めた[17]
「環境上養護を要する」児童とは(対象となる児童)

と死別した児童

父母に遺棄された児童

父母の行方不明、長期入院、拘禁離婚再婚、心身障害などで家庭環境不良の児童

保護者(実親・継親・親族里親)がいても児童虐待を受けている児童

家庭裁判所少年審判保護処分となった刑事未成年である14歳未満の少年や少女が入所する場合もある

以上のように、「保護者の健康上・経済上の理由などで監護を受けられない児童、または保護者の元で生活させるのが不適当(家庭環境が悪く、保護者のもとで生活させるのは不可能)な状況にある」と児童相談所が判断した児童。
歴史

593年聖徳太子悲田院を作った。

和気広虫和気清麻呂の姉)が藤原仲麻呂の乱で生じた孤児83人を育児院で保護した。

江戸時代は養育館、遊児厰(ゆうじしょう)が作られた。

1879年(明治12年)には東京に福田会育児院が、1887年(明治20年)には石井十次によって岡山孤児院が作られた。

1933年の児童虐待防止法、少年教護法などが成立。

1937年頃、母子心中が多発し、母子保護法が制定される。

1938年、厚生省(当時)に児童課、母子課が新設される。

1945年、敗戦後、戦争孤児が街にあふれ、RAA(特殊慰安施設協会)が発足。

1946年、糸賀一雄らが中心となって滋賀県湖南市に近江学園が設立。生活保護法が成立し、主要地方都市に浮浪児保護要綱が通知される。

1947年児童福祉法の制定(1948年施行)に伴い、孤児院という名称を養護施設に改称。

1997年の児童福祉法の改正(1998年施行)に伴い、名称を児童養護施設に改称。

児童養護施設の歴史は、本庄豊による著書『児童福祉の戦後史: 孤児院から児童養護施設へ』(吉川弘文館、2023年)[18]により、戦前から戦後への流れが明らかにされている。


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