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時代戦国時代 - 安土桃山時代
生誕不詳
死没天正13年11月19日(1586年1月8日)
改名児玉元実→児玉元良
別名通称:小次郎、三郎右衛門、児三
主君毛利元就→隆元→輝元
氏族児玉氏
父母父:児玉就忠 母:久芳賢直の娘
兄弟元良、小方元信、春種、内藤元輔、女(粟屋元信室)
妻正室:有福元貞の娘
継室:羽根泰次の娘
子元兼、飯田元親、景唯、二の丸殿(清泰院、毛利輝元側室)、女(益田景祥室)、元次
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児玉 元良(こだま もとよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣で、五奉行の一人。 毛利氏の家臣・児玉就忠の子として生まれ、天文22年(1553年)に毛利隆元を烏帽子親として元服。 永禄5年(1562年)、父の就忠が病死すると家督を相続する。同時に毛利氏の五奉行の地位も引き継ぎ、天正12年(1584年)まで務めた。 永禄8年(1565年)、毛利輝元の指揮下で月山富田城の戦いに従軍。 元亀元年(1570年)、山中幸盛率いる尼子再興軍との布部山の戦いにも従軍した。 また、織田氏の対立が激しくなると、播磨国方面にも進出し、天正6年(1578年)の上月城の戦いにも従軍した。 天正12年(1584年)、毛利氏の使者として、伊予国の河野氏のもとへ派遣されている。 天正13年(1585年)11月19日、元良は死去した。輝元は元良の死を痛惜し、翌日に粟屋元種に書状を送って、元良の遺族を慰藉するよう依頼している。 「古老物語 この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2024年2月)
生涯
逸話
参考文献
『萩市史・第一巻』[要文献特定詳細情報]
三卿伝編纂所編、渡辺世祐監修『毛利元就卿伝』(マツノ書店、1984年)
岡部忠夫