光華寮訴訟
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最高裁判所判例
事件名土地建物明渡請求事件
事件番号昭和62年(オ)第685号
2007年(平成19年)3月27日
判例集民集61巻2号711頁
裁判要旨

本件訴訟の原告として確定されるべき者は、訴訟提起当時その国名を「中華民国」としていたが、日中共同声明に伴って「中華人民共和国」に国名が変更された中国国家というべきである。

日中共同声明により中華民国駐日本国特命全権大使が有していた中国国家の我が国における代表権は消滅したことは公知の事実であり、このことは相手方に通知されなくても直ちにその効力を生じるから、その時点で訴訟手続は中断したというべきである。

(中華人民共和国政府を承認した)昭和47年9月29日の時点以後の訴訟手続は、原告として確定されるべき者である中国国家について訴訟行為をするのに必要な授権を欠いており違法であるから、原判決を破棄し、訴訟手続が中断した時点に立ち戻って訴訟手続の受継をさせた上で、第1審判決を取り消し、第1審に差し戻すこととする。

第三小法廷
裁判長藤田宙靖
陪席裁判官上田豊三堀籠幸男那須弘平田原睦夫
意見
多数意見全員一致
意見なし
反対意見なし
参照法条
外交関係に関するウィーン条約3条1項(a)、民訴法133条1項2号、同37条、同36条、同124条1項3号、同58条1項4号、同124条2項、同87条、同140条、同297条、同313条、同319条、旧民訴法395条1項4号
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光華寮訴訟(こうかりょうそしょう)とは、京都府京都市左京区に所在する、台湾人中国人の留学生寮(学生寮)である「光華寮」の所有権の争いをめぐって日本の裁判所に提起された民事裁判である。日中間の外交問題に発展したことから、光華寮事件(こうかりょうじけん)、光華寮問題(こうかりょうもんだい)などとも呼ばれる。

提訴から最高裁判決が出るまで40年、上告から20年経過し、2018年現在でも訴訟が続行中である[1]。日本の裁判所に係属する最も古い民事訴訟である。
概要

訴訟の舞台となった光華寮は、戦前の京都帝国大学が中国人留学生のために賃借した学生寮を、1950年ころ、中華民国駐日代表団(日華平和条約発効後は中華民国駐日大使館)が購入したものである。1965年ごろ、文化大革命をめぐって寮生間に対立が発生し、中華民国台湾)当局が、寮の管理に問題が生じたとして、1967年9月6日、中国人留学生の寮生8名を被告として、立退き(土地・建物の明渡し)を求める訴えを京都地方裁判所に提起した。訴え提起時の訴状は、原告の表示を「中華民国」、原告の代表者を「中華民国駐日本国特命全権大使」と表示していた。

第1審途中の1972年9月29日日中共同声明により、日本が中華民国(台湾)との国交を断絶し、中華人民共和国を「中国の唯一の合法政府」として承認したことから、国有財産の承継などの国際法上の争点が浮上した。
争点

中華民国(台湾)は、日中共同声明による政府承認切り替え後も、日本の裁判所において当事者能力(訴訟を提起する資格)を有するか、あるいは、本件訴訟における当事者適格(本件訴訟において判決の名宛人となるにふさわしい地位)を有するのか

光華寮の所有権は、政府承認切り替えによって影響を受けるのか(所有権は中華人民共和国政府に移転するのか、中華民国(台湾)政府に帰属したままか)

裁判は、第1審(台湾敗訴)→控訴審(原判決破棄差戻し、台湾勝訴)→差戻し後第1審(台湾勝訴)→差戻し後控訴審(台湾勝訴)→上告審と経過する。下級審の4つの判決は、いずれも第1の争点を肯定し(差戻し後控訴審判決は、当事者を「台湾」と表示)、第2の争点については第1審以外の3つの判決すべてが政府承認切り替えは所有権に影響を与えない、つまり中華民国政府に帰属したままであるという判断を示した。

最高裁判所は、上告審を長年塩漬け状態にしていたが、2007年に入って突如として審理を再開し、2007年3月27日、上告から20年ぶりに判決を出した。最高裁は、本件訴訟の原告は「中国国家」であるとの判断を示した上で、日中共同声明によって原告当事者が中華人民共和国に移った時点で訴訟手続は中断し、訴訟承継の手続をすべきだったという理由から、35年前に立ち戻って訴訟承継させ、第1審から審理をやり直すよう命じる判決をする(原判決を破棄し、第1審判決を取り消して、第1審の京都地裁に差し戻した)。この判決の中では、光華寮の所有権の帰属については言及されていない[2]。この最高裁判決が出るまでに、最高裁で光華寮訴訟に関与した裁判長は4人いる。

2023年9月時点においても京都地裁で係争中であるが、審理は開かれていない。最大の理由は、中国が訴訟資料の受け取りを拒んでいることとされる。中国は2010年に京都地裁の要請に対し「中国の主権と安全を侵害するため」と回答している。地裁は公示送達を検討したが、台湾は「日本の司法が中国を服せしめる強権を発動したと受け止められ政治問題化する」と反対し、実現していない[3]
光華寮の現況光華寮

所在地は京都府京都市左京区北白川西町で、鉄筋コンクリート構造、地上5階地下1階、1階面積約130坪(約430平方メートル)、延べ床面積約640坪(約2,100平方メートル)。約100室の居室に、留学生・元留学生あわせて十数人が生活していた。

老朽化が進む中で無人となっており、近隣住民からの崩落などを心配する声を受けて、2018年1月には京都市が立ち入り調査をしている[1]。調査の結果、コンクリートがはがれ、鉄筋がむきだしの箇所も確認されている[1]。裁判で所有者は確定していないが、中国政府を支持する「京都華僑総会」(左京区)が実質的に管理している[1]。管理が行き届かない空き家に対して行政が建築基準法により行政代執行した例があるも、京都市は外交問題のため慎重な姿勢を示していた[1]

2023年6月、実質的に施設を管理する京都華僑協会により建物が取り壊された。協会は以前から撤去の意向を固め在大阪中国総領事館に打診していたが、総領事館に判断を先送りされ続けたため、工事を断行した。ただし、協会は「危険物を除去しただけで解体ではない」と主張している[3]。これに対し中華民国(台湾)外交部は、協会が建物を取り壊したことを非難し、京都市が台湾側に取り壊しを通知しなかったことに対し遺憾の意を表明した[4]
経過

1931年(昭和6年):民間の業者が「洛東アパート」として建設、学生向けのアパートとして運営。設計は、土浦稲城。数少ない、現存する戦前期のモダニズム建築の例として、文化財的価値も高い。

1944年(昭和19年)12月:日本政府は、日本国内各地の大学にいる留学生について、「留学生教育非常措置」により京都帝国大学に集めて、「集合教育」を実施することとなる。

1945年(昭和20年)4月:京都帝国大学は、集合教育のうち中華民国からの留学生について、全寮制を採用。このため、洛東アパートを借り上げて「光華寮」とし、開寮式を行なう。「光華寮」の命名は、当時の羽田亨総長によるもの。80 - 100人程度の留学生が生活。

1945年(昭和20年):日本の敗戦により、留学生の集合教育は廃止され、京都大学は光華寮の管理を終了。日本政府からの賃借料(家賃)の支払いが途絶える。光華寮の所有者は、賃貸借契約の継続に同意しない姿勢を明らかにする。光華寮は寮生で組織する幹事会の自主管理となり、事態に窮した中国人留学生は中華民国駐日代表団に援助を求める。

1949年(昭和24年)10月1日:中国大陸において、中華人民共和国が成立。

1950年(昭和25年):中華民国政府が光華寮の所有者との間で、光華寮の購入に向けた交渉を始める。

1952年(昭和27年)8月5日日華平和条約が発効。

1952年(昭和27年)12月:中華民国政府が光華寮を買収(ただし、所有者の名義を「中華民国」とする所有権移転登記手続は1961年にようやく完了した)。

1966年(昭和41年):中華人民共和国で文化大革命が始まる。寮生のなかで、文革を支持する者としない者の間で対立が発生する。

1967年(昭和42年)9月:中華民国政府が、寮を占有する中国人留学生に対し立ち退きを求めて提訴(京都地裁)。訴状には、原告「中華民国」、原告代表者「中華民国駐日本国特命全権大使」と表示。

1972年(昭和47年)9月29日日中共同声明に調印、日中国交正常化。これにより、日本は、中華民国との国交を断絶し、中華人民共和国を「中国の唯一の合法政府」として承認した。同声明第3項で、日本政府は、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」との「中華人民共和国の立場」を「理解し、尊重」する、と記された[5]

日中共同声明による政府承認の切り替え後、原告は原告代表者の表示を「中華民国財政部国有財産局長」に変更。


1977年(昭和52年)9月16日:第1審(京都地裁)は、台湾敗訴。

判決は、中華民国が台湾とその周辺諸島を支配する事実上の国家形態であることは否定できないとして、原告の当事者能力を肯定したが、日本政府が中華人民共和国政府を唯一の合法政府と承認した以上、「中国」の公有財産である光華寮の所有権も中華人民共和国に移転するとして、原告(中華民国)の請求を棄却した。


1978年(昭和53年)8月12日日中平和友好条約に調印。

1982年(昭和57年)4月14日:控訴審(大阪高裁)[6]は、台湾勝訴。


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