前漢においては、元は中大夫と呼ばれ、論議を職務とし、郎中令(光禄勲)に属していた。武帝の太初元年(紀元前104年)に中大夫を光禄大夫と改称し、秩禄を比二千石とした。
後漢においても秩禄は比二千石で定員は無かった。顧問応対を職務としており、決まった仕事はなく、詔によって派遣されるのみであった。
後代には散官の一つとなった(唐・宋の例では従二品、元では従一品)。
参考文献
『漢書』巻19上百官公卿表上
『続漢書』(『後漢書』合刻)百官志二
更新日時:2019年9月25日(水)07:35
取得日時:2021/01/04 19:59