光岳
上河内岳から望むイザルヶ岳・光岳・光小屋
光岳(てかりだけ)は赤石山脈(南アルプス)南部の標高2,592 mの山である[2][注釈 1]。日本百名山に選定されている[3]。 富士山南斜面の同じ標高の地点(富士宮口六合目付近)よりも緯度にしてわずか10 秒、距離に換算して300 mほど南に位置し、2,500 mを超える山としては日本の最南端にある[4]。国内には光岳より南にそれより高い地点はない。山頂部がわずかに森林限界を超えており、ハイマツおよび高山帯植生の分布の南限(ハイマツは世界最南端の自生地)及びライチョウの生息地の南限に当たることでも知られている。山の上部は、南アルプス国立公園内に指定されていて、その最南端の山である[5]。南東部のツガなどの針葉樹林帯は1976年(昭和51年)3月22日に環境省により、「大井川源流部原生林自然環境保全地域」に指定されている[6]。山頂のすぐ東には光小屋の山小屋があり、イザルガ岳との間のゼンジヶ原は二重稜線となっていて、周氷河地形の名残である窪地状の亀甲状土の地形が見られる[7]。周辺ではシナノキンバイ、ハクサンフウロ、ホソバトリカブトなどの高山植物が見られる[8]。光岩周辺では、チョウノスケソウや南アルプスの固有種であるミヤマムラサキなどの群生地がある。 井川村史では、「三隅嶽ハ安倍、榛原、下伊那三群ノ間ニ有リ」と記され、かつては「三隅嶽」と呼ばれていた[4]。山頂の南西直下に遠州側から遠望した時に夕日に照らされて白く光って見える光岩(てかりいわ)と呼ばれる石灰岩の岩峰があり、これが山名の由来である[9]。明治期に陸地測量部測量官が名付けた[10]。 日本山岳会の高頭仁兵衛らが赤石岳から縦走した際に、その山行記録の「山岳」第五年第一号でこの山名を三隅嶽と記した[4]。旧制静岡高等学校山岳部がゼンジヶ原の東端で野営したことを記念に、その場所が「静高平」と名付けられた[4]。1930年に、田中喜左右衛門ろ工藤英司らが、榎田雄作らのガイドと共に大井川の支流のリンチョウ沢を初遡行した、その源流が「雄作沢」と名付けられた[4]。1952年夏に深田久弥 が、友人と二人で易老渡から登頂した[3]。
概要
山名の由来
登山
登山ルートイザルヶ岳から光岳にかけてのハイマツ帯にはライチョウが生息し、その南限となっている
Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef