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光原 エミカ(みつはら エミカ、10月20日 - )は、日本の女優、歌手で宝塚歌劇団卒業生(元月組トップスター)。
神奈川県横浜市出身。宝塚歌劇団時代の芸名は大 滝子(だい たきこ)。愛称ダイちゃん。身長(現在の公称)160センチ、法政大学女子高等学校卒業。 1963年、宝塚音楽学校を首席で卒業[1]。初舞台公演は星組公演『花詩集-1963年[1]』。 芸名は日本のバレエの権威大滝愛子から命名された。1964年12月1日に雪組[1]配属になっていたが、月組[1]へ組替えとなる。 1973年、月組トップ古城都の退団を受け、同期生の榛名由梨と共にトップスターに就任。男役としては、比較的小柄で華奢な体格ゆえ男役らしさを造形することに苦労したと、後年本人が各種メディアのインタビューなどで語っている。 1974年、2月公演「白い朝/ロマン・ロマンチック」トップ披露公演。 同年、9月公演「秋扇抄/ベルサイユのばら」(『ベルばら』初演)で、大はフェルゼンを演じ、空前の大ヒットとなり、以来再演を繰り返し、2006年1月には通算上演1500回を突破、同年3月には通算観客数400万人を記録している。 1975年、1月公演「春鶯囀/ラビング・ユー」芝居は専科から春日野八千代が特別出演して主演したためショーのみの主演。 同年、3月「春の宝塚踊り/ラムール・ア・パリ」主演。なお榛名が花組へ(同男役トップスターとして)異動、以後退団まで月組男役トップは大の単独体制となった。 同年、10月-11月「恋こそ我がいのち/イマージュ」主演。 1976年、フジテレビ『3時のあなた』の番組内で退団を発表。 同年5月14日-6月22日「スパーク&スパーク/長靴をはいた猫」[1]宝塚大劇場公演千秋楽をもち、宝塚歌劇団を退団。宝塚退団後、数々のテレビドラマ作品・映画などへの出演ほか、歌手活動を続ける。ことにディナーショー、リサイタルなど音楽活動に重点を置いた活動をしていた。 2016年、芸能生活53年。40年間続けて来たディナーショーも現在帝国ホテル、ホテルヒルトン東京お台場で毎年行い続けている。 2018年、芸能生活55周年を迎えた。
目次
1 経歴
2 エピソード
3 宝塚歌劇団時代の主な舞台
4 テレビ出演
5 ディナーショー、コンサート
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
経歴
エピソード
現在の芸名は「いつも光輝いて笑みを絶やさぬようありたい」という自身の願いをこめたと話している[要出典]。
チャリティーリサイタル(の収益寄付)の功績を認められ「東京善意銀行」より表彰された事がある。[2]。
毎年、ディナーショーを開催している。[3]。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
「永遠のカトレア」(花組、1970年2月6日 - 3月12日、宝塚大劇場)
「川は光る」(月組、1971年7月1日 - 7月29日、宝塚大劇場)
「ゴールド・ヒル」「ハレルヤ」(月組、1971年12月2日 - 12月26日、宝塚大劇場)
「蒼き湖」(月組、1972年7月29日 - 8月31日、宝塚大劇場)
「鼓よ空に響け」「愛のラプソディ」(月組、1973年3月1日 - 3月22日、宝塚大劇場)
「秋の宝塚踊り」(月組、1973年9月29日 - 10月30日、宝塚大劇場)
「白い朝」「ロマン・ロマンチック」(月組、1974年1月31日 - 2月26日、宝塚大劇場)
「ベルサイユのばら」- フェルゼン 役(月組、1974年8月29日 - 9月26日、宝塚大劇場)
「ラビング・ユー」(月組、1975年1月1日 - 1月30日、宝塚大劇場)
「ラムール・ア・パリ?サラ・ベルナールの恋?」(月組、1975年3月27日 - 5月12日、宝塚大劇場)
「恋こそ我がいのち」- ジュリアン 役「イマージュ」(月組、1975年10月2日 - 11月11日、宝塚大劇場)
「スパーク&スパーク」「長靴をはいた猫」(月組、1976年5月14日 - 6月22日、宝塚大劇場)
テレビ出演
武田信玄(1988年1月10日?1988年12月18日、NHK大河ドラマ)
信長 KING OF ZIPANGU(1992年1月5日? 1992年12月13日、NHK大河ドラマ)