光化学スモッグ(こうかがくすもっぐ)とは、オゾンやアルデヒドなどからなる気体成分の光化学オキシダントと、硝酸塩や硫酸塩などからなる固体成分の微粒子が混合して、周囲の見通し(視程)が低下した状態をいう。光化学オキシダントを主成分とするスモッグ。健康に影響を及ぼすことがある大気汚染の一種[1][2]。
工場や自動車の排出ガスなどに含まれる窒素酸化物や炭化水素(揮発性有機化合物)が、太陽光に含まれる紫外線により光化学反応を起こして変質し、オゾンなどが発生する。夏の暑い日の昼間に多く、特に日差しが強く風の弱い日に発生することがある。 光化学スモッグが初めて発生したのは1940年代のアメリカ カリフォルニア州のロサンゼルスとされている[3]。ロサンゼルスは盆地の中にあって大気汚染物質の滞留が起きやすい地形条件にあることに加えて、人口が1920年から1940年にかけて3倍、1940年から1958年にかけて2倍と急速に増加していくのに伴って、産業の拡大や自動車の増加が大気汚染を深刻化させていた。当時知られていた主な大気汚染物質は煤煙(燃焼に伴うすす)や二酸化硫黄であり、これらを法的に規制することが行われたが、被害の悪化は防げずにいた。1943年9月8日には昼間でも薄暗くなるほどの高濃度のスモッグが発生し、呼吸器障害や催涙性の(目への)刺激などの健康被害が広い範囲で発生した。1944年には植物への被害が初めて報告され、1949年には農作物への大規模な被害も発生した[4][5]。当時知られていた大気汚染は主に石炭の燃焼が原因で冬の朝を中心に発生する「黒いスモッグ」(ロンドン型スモッグ)であるが、ロサンゼルスのスモッグは夏の昼間を中心に発生していて白色だったため「白いスモッグ」(ロサンゼルス型スモッグ
歴史
米国
日本国光化学スモッグ注意報発令を知らせる看板
(2006年9月4日、茨木市役所)
日本で光化学スモッグによる被害が初めて明らかになったのは1970年の東京立正中学校・高等学校の事例とされている[3]。1970年7月18日、環七通りの近くにある東京立正中学校・高等学校の生徒43名が、グランドで体育の授業中に目に対する刺激・のどの痛みなどの被害を訴えた[7]。後の東京都の調査によって光化学オキシダントによるものということが判明して以来、公に注目されるようになった[7]。ただし、1965年頃に近畿や四国で、1969年・1970年に関東でそれぞれ報告されていた農作物の斑点などの被害が、後に光化学スモッグによるものであったと判明しているように、それ以前にも被害はあったと考えられる[4]。
1970年の初報告以来、日本国内では光化学スモッグが多数報告されるようになった。光化学スモッグ注意報などの発表延べ日数は、1973年(昭和48年)に300日を超えてピークに達している。その後減少し、1984年(昭和59年)には100日以下となる。しかし、再び増加して1980年代後半以降は100-200日前後を推移し、2000年と2007年には200日を超えている[8]。光化学オキシダントの濃度も、2006年から2010年の5年間で環境基準を達成している地点は0.2-0%とほとんどなく、平成24年の環境白書でも「依然として低い水準」とされている[9]。また2000年前後から、対馬などの離島や西日本、日本海側などで大陸(主に中国)から越境輸送された汚染物質が影響したと推定される光化学オキシダントの高濃度事例が発生して問題となっている[10]。2002年には千葉県で国内で18年ぶり(千葉県内では28年ぶり)となる光化学スモッグ警報が発表されている。
発生しやすい条件
5月から9月にかけて。まれに4月や10月にも。
日中。特に、10時頃から17時頃まで。
晴れ又は薄曇。日射が強いと発生しやすい。雨の日は発生しない。
気温が高め。25℃以上。
風が強くない。なお、特定の風向きの時に発生しやすいということもあるものの、その風向きは地域によって異なる。
影響