先代旧事本紀
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『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、さきのよのふることのふみ、先代舊事本紀)は、日本史書であり、神道における神典である。『旧事紀』(くじき)あるいは『旧事本紀』(くじほんぎ)ともいう。
概要

全10巻からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。著者は不明だが、「天孫本紀」に尾張氏物部氏の系譜を詳しく記述し、物部氏に関わる事柄を多く載せる[1]ところから、著者は物部氏の人物であるという説もある。

蘇我馬子などによる序文を持つ[2]が、大同年間(806年 - 810年)以後、延喜書紀講筵904年 - 906年)以前の平安時代初期に成立したとされる[2][3]江戸時代国学者である多田義俊伊勢貞丈本居宣長らによって偽書とされた[4][5]。近年序文のみが後世に付け足された偽作であると反証されたことから[6][7][8][9][10][11]、本文は研究資料(例:[12][13][14][15][16][17])として用いられている。
成立時期

本書の実際の成立年代については推古朝以後の『古語拾遺』(807年成立)からの引用があること、延喜の頃矢田部公望が元慶の日本紀講筵における惟良高尚らの議論について先代旧事本紀を引用して意見を述べていること[18]、藤原春海による『先代旧事本紀』論が承平(931年 - 938年)の日本紀講筵私紀に引用されていることから、『先代旧事本紀』は博士・藤原春海による延喜の『日本書紀』講書の際(904年 - 906年)には存在したと推定され、『先代旧事本紀』の成立は大同年間(806年 - 810年)以後、延喜書紀講筵904年 - 906年)以前と推定されている。

また、868年に編纂された『令集解』に『先代旧事本紀』からの引用があるとして、『先代旧事本紀』の成立時期を807年 - 868年とみる説がある。
まず『先代旧事本紀』の成立時期であるが……巻七『天皇本紀』の神武即位の記述中に、『古語拾遺』の中ほどに見える神武東征の文を承けた箇所がある……そこで『古語拾遺』の末尾にいう「大同二年(八〇三)[注 1]が上限となる。下限は、巻三「天神本紀」[19]ならびに巻七「天皇本紀」[20]に見える十種の神宝の祝詞を『令集解』が引いている[21]ことから求められる。『令集解』の成立期は……瀧川政次郎先生により、弘仁格式を引くも貞観格式は引かずと考証された結果、貞観十年(八六八)と推定された(『定本令集解釈義』解題、昭和六年、内外書籍)。その年次をもって本書の成立下限とすべきである」 ? 嵐義人[22]

また『令集解』に引用される、穴太内人(あのうのうちひと)の著『穴記』(弘仁(810年 - 823年)天長(824 - 833年)年間に成立か。)に『先代旧事本紀』からの引用があるとして成立時期を807年 - 833年とみる説がある。ただし、『穴記』の成立年代は弘仁4年以後ということのみが特定できるにとどまるため、推定の根拠としては有効ではないともいわれる[4]


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