元老院
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この項目では、元老院全般について説明しています。古代ローマの元老院については「元老院 (ローマ)」をご覧ください。
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出典検索?: "元老院" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2018年4月)
フォロ・ロマーノに復元されたローマ時代の元老院議事堂「クリア・ユリア

元老院(げんろういん、: senatus)は、王政ローマにおける王の助言機関、また、後の共和政ローマにおける統治機関、更に、後のローマ帝国皇帝の諮問機関を指す語である。また現在では、多くの国が上院の呼称に用いる語でもある。senatusに由来する名称の機関は必ずしも「元老院」と訳されるわけではないが、本項では便宜上「元老院」と表記する。
語源と歴史1917年のフィンランド上元老院。最初の議長であるペール・スヴィンヒュー(写真中央)が首相の座についた。

古代ローマでは、初代ロームルス王以来、多くの一族を抱える有力者をもって「貴族(パトリキ)」として終身の「元老院」を構成させ、王の「助言機関」とした。これが最初の「元老院」である。ラテン語で「老いた者」を意味する senex が語源で、ここから派生した senatus「年長者」という語が「年長者会議」という意味で使われるようになった。

前509年、王制が打倒されたあとの共和政ローマでは、元老院が実質的な統治機関となった。

ローマの元老院は、紀元前27年帝政移行後も存続したが、次第に権限が縮小され、正当な皇帝を承認する機関へ、そして、皇帝の諮問機関へと、段階的に性格を変えていった。ローマの元老院は7世紀ごろに姿を消したが、ローマの元老院を模して設けられたコンスタンティノポリスの元老院は1453年東ローマ帝国滅亡まで存続した。

西欧が経験した唯一の共和政体が共和政ローマであり、貴族の権威によらない合議制の統治機関として西欧が知る唯一の実例がローマの元老院だったことから、西欧世界において senatus が各国語に変化した語(下記「各国の例」を参照)が「合議制による国家の意思決定機関」、または「高い権威を持った合議制の国家機関」を表す普通名詞と化した。

その後、中世のポーランド王国ポーランド・リトアニア共和国)、ヴェネツィア共和国フィレンツェ共和国、などに共和政体ないし貴族共和政体が成立すると、その統治機関にも「元老院」の名称が用いられた。ヴェネツィアやフィレンツェの機関は「参事会」と訳されることが多く、ポーランドの機関は「元老院」と訳されるかそのまま「セナト」と呼ばれる。また、東ローマ帝国の皇帝権を継承する形で成立したロマノフ朝ロシア帝国では、ピョートル1世が諮問機関として設置した機関に「元老院」の名称を用いている。そして、近世になり、体系的な国家構造と将来展望をもつ初の近代的共和国としてアメリカ合衆国が独立すると、その議会に旧・宗主国イギリス両院制を取り入れながらも、その「貴族院庶民院」という名称を改めて「元老院代議院」として現在に至っている。

この結果、現在でも古代ローマを源泉とする西欧文明を継承する国々、中でも英・仏・西・米の旧・宗主国や、その旧・植民地に20世紀になってから独立した国のほとんどが、上院の正式名称に「元老院」を用いるに至っている。

なお、日本でも江戸時代まで、組織の幹部の肩書きに「おとな」「年寄」といった年長者を意味する語を当てることが多かった。幕府の政策決定者を「老中」や「大老」と呼んだり、大相撲の親方のことを「年寄」と呼ぶといった例がある。明治維新後の太政官制では、1875年に設置された立法諮問機関のことを「元老院」と呼んでいた。
主な元老院
各国の例

それぞれの正式名称を日本語訳と原語とで挙げた(原語が複数の国は、公用語が複数の国)。なお、日本の新聞やニュースでは、これら外国の元老院を全て一律に「上院」と呼んでいる。


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