元林院町
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元林院町
がんりいんちょう
日本
地方近畿地方
都道府県奈良県
自治体奈良市
郵便番号630-8221
面積0.006324km²
世帯数19世帯
総人口39人( ⇒国勢調査、2010年10月現在)
人口密度6,166.98人/km²
隣接町丁今御門町、南市町、登大路町、樽井町、餅飯殿町
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元林院町(がんりいんちょう Ganriin-ch?)は、奈良県奈良市の市街地に位置する地区である。花街として栄えてきた。郵便番号は630-8221。
目次

1 地理

2 歴史

3 小・中学校の学区

4 出身人物

5 関連項目

6 脚注

7 外部リンク

8 参考文献

地理

奈良市の中央部、市街地の北部に位置する地区。猿沢池のすぐ西方のエリアであり、今御門町・南市町・登大路町・樽井町・餅飯殿町に隣接する。

町内を率川(菩提川上流)が流れている。

地名は『角川日本地名大辞典』によれば興福寺の別院である「元林院」にちなむとされる。
歴史

江戸時代にはすぐそばの興福寺や、比較的近い場所にある春日大社を描く絵師たちが多くこの地に住み込んだ。そのため町には「興福寺の絵屋町」という別名が存在する。

明治時代、大火災に見舞われる。元林院町と南接する南市町も被害を受けた。町にある八王子四之室神社は八王子権現(素戔嗚尊御子神)および姫大神を祀っているが、このとき火災の火がこの社裏で鎮火したと言い伝えられており、現在も町内で管理されている。

その後、絹谷幸次が祇園の芸者を連れて帰り披露したのをきっかけとして「芸者の町」と呼ばれるようになると芸者が多く暮らし、華やかな時代となった。大正時代には二百数十人ほどの芸者を数えた。また、昭和初期には200人ほどの芸舞妓がいたが、現在は5人[1]。町内の芸者置屋が廃業していることなどから、今御門町つるやの大野菊乃を代表とする「元林院花街復興プロジェクト」が立ち上がっている[2][3][4]
小・中学校の学区

奈良市立椿井小学校、および奈良市立三笠中学校の学区に属する[5]
出身人物

絹谷幸二 - 画家。料理旅館であった「明秀館」が生家[6]

関連項目

ならまち

氷室神社 四之室神社は明治初期に氷室神社に合祀されたことがある。

猿沢池

脚注

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^ 奈良新聞 (2016年1月17日). “ ⇒奈良町で花街体験 - 全国の芸妓・舞妓集合” (日本語). 2017年2月21日閲覧。
^ “ ⇒奈良元林院花街復興プロジェクト” (日本語). 2017年2月21日閲覧。
^ 毎日新聞 (2016年6月21日). “ ⇒こども日本伝統舞踊教室 芸妓から日舞学ぶ 「伝統文化理解深めて」 来月から /奈良” (日本語). 2017年2月21日閲覧。
^ 毎日新聞 (2017年2月6日). “ ⇒ならまち花あかり 芸舞妓が踊りやお座敷遊び披露 奈良で25・26日 /奈良” (日本語). 2017年2月21日閲覧。
^ “ ⇒通学区域”. 奈良市. 2016年12月20日閲覧。
^ 奈良日日新聞 (2014年4月4日). “ ⇒花街・元林院の復興 夜のにぎわいふたたび” (日本語). 2017年5月11日閲覧。

外部リンク

“ ⇒
奈良元林院花街復興プロジェクト” (日本語). 2017年2月21日閲覧。




“ ⇒悠久のまほろば・奈良の魅力を再発見 週末の夜 GINZA SIXでおとなの芸術講座” (日本語). 2018年5月4日閲覧。

参考文献

「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 29 奈良県』角川書店、1990年
ISBN 4-04-001290-9

山田熊夫『奈良町風土記(正編)』豊住書店、1987年

山田熊夫『奈良町風土記(続々編)』豊住書店、1988年

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