元帥よ、我らここにあり!
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フィリップ・ペタン元帥(1941年)

『元帥よ、我らここにあり!』(フランス語: Marechal, nous voila !)は、ヴィシー政権下のフランス(ヴィシー・フランス)にて、同国の国家主席となったフィリップ・ペタン元帥への賛歌として作られた歌である[1]。作詞はアンドレ・モンタガール(フランス語版)が行った。作曲はモンタガールとシャルル・クルティウ(Charles Courtioux)が協同で行ったとされているが[2][3][4]、実際にはカジミール・オベルフェルド(フランス語版)が作曲した『La Margoton du bataillon』からの盗用であると指摘されている[5]

ヴィシー・フランスでも『ラ・マルセイエーズ』は引き続き国歌と位置づけられていたものの、ドイツ占領下の地域では演奏が禁じられていた。そのため、『元帥よ、我らここにあり!』は非公式ながら事実上の国歌と見なされていた。
歴史
起源

1941年、音楽出版社Ver Luisantから発表された[6]。当時、同社はドイツ系人のロルフ・マルボー(Rolf Marbot)ことアルブレヒト・マルクーゼ(Albrecht Marcuse)が社長を務め、ペタン元帥の賛歌や『明日のフランス』(La France de demain)や『青年の行進』(La Marche des jeunes)といった曲を制作していた[5]。シャルル・クルティウは同社専属の作曲家だった[5]

発表時、音楽作詞者作曲者出版者協会(フランス語版)(SACEM)は、本曲と『La Margoton du bataillon』の間に見られる「明白な関係性」(parente evidente)[2]を指摘し、クルティウに対しては「奇妙な類似性」(etrange similitude)[2]に関する警告を書面で行っている[7]。ユダヤ人だったオベルフェルドはかつて権利保有者としてSACEMに認められていたものの[5]、ヴィシー政権成立後はユダヤ人関連の諸法律の元でSACEMに著作物を登録する権利と使用料を受け取る権利を剥奪されていた[8]。オベルフェルドは1943年にアウシュヴィッツ強制収容所へと送られ[9]、1945年の「死の行進」の最中に死亡した[8]

『元帥よ、我らここにあり!』は1937年のツール・ド・フランスの際に発表されたフレド・ガルドーニ(フランス語版)の『La Fleur au guidon』とも「驚くほどの類似性」(ressemblance frappante)[2]が指摘されている[2]。1938年に社会主義者の歌としてミシェル・エマー(フランス語版)とG・オーブリー(G. Aubry)[10]が発表した『Chant de l'avenir』も含め、これら3曲はいずれも『La Margoton du bataillon』からの盗用ないし影響の例と見なされている[11][8]
ヴィシー・フランスでの位置づけ

占領下フランスにおいて広く歌われ、録音としては映画俳優のアンドレクス(フランス語版)とアンドレ・デサリー(フランス語版)によるものが特に知られる[2]。演奏はマルセル・カリヴェン(英語版)のオーケストラで、レコードはパテからリリースされていた[12]

ヴィシー・フランスにおいても、『ラ・マルセイエーズ』は依然として国歌と位置づけられ[13][14]、その重要性は維持されていたが、これは国家の象徴を放棄しないというヴィシー政権の姿勢を抵抗運動勢力(英語版)に示すためだった[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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