元山市
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「元山」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「元山 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

元山市
元山港と万景峰号
位置

各種表記
チョソングル:???
漢字:元山市
日本語読み仮名:げんざんし
片仮名転写:ウォンサン=シ
ローマ字転写 (MR):W?nsan-si
統計(2008年
面積:314.4 km2
総人口:363,127 人
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国
下位行政区画:45洞14里
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元山市(ウォンサンし、げんざんし、???)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)江原道の道庁所在地(北朝鮮では道庁は道人民委員会と呼ばれている)。日本海側港湾工業都市であり、軍港である。

日本新潟港に入港していた万景峰号の母港でもある。国際観光都市として開放されており、中国人観光客が多い。
地理・気候

朝鮮半島東海岸中部の元山湾に面し、西には馬息嶺の並みが連なる。首都平壌へ200km、金剛山へ120kmの地点にある。

朝鮮半島東海岸にある東朝鮮湾の奥には、南の葛麻半島と北の虎島半島(咸鏡南道金野郡に属する)に囲まれた永興湾があり、日本海の荒波から守られた天然の良港になっている。葛麻半島の内側が元山港のある元山湾(徳源湾)で、葛麻半島の外の永興湾には薪島・大島・小島・熊島・麗島など20余りの離島が点在する。

元山港の北西には海水浴場遊園地のある松涛園遊園地が続き、元山港の東の葛麻半島西岸には明沙十里という長い砂浜があり、いずれも景勝地となっている。

付近の山には長徳山・牛山・南山・北望山などがある。

気候は海に面するために海洋性気候で比較的温暖である。最も寒い1月の平均気温は-2.2℃でケッペンの気候区分では温帯に属する。

元山(1981?2010)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
日平均気温 °C (°F)?2.2
(28)?0.4
(31.3)4.1
(39.4)10.8
(51.4)16.1
(61)19.0
(66.2)22.6
(72.7)23.8
(74.8)19.1
(66.4)13.7
(56.7)7.1
(44.8)0.8
(33.4)11.21
(52.18)
降水量 mm (inch)35.9
(1.413)40.8
(1.606)45.4
(1.787)85.4
(3.362)115.6
(4.551)169.9
(6.689)305.1
(12.012)290.1
(11.421)206.0
(8.11)98.2
(3.866)65.3
(2.571)22.1
(0.87)1,479.8
(58.258)
出典:気象庁[1]

元山 1961 - 1990年平均の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
日平均気温 °C (°F)?3.6
(25.5)?1.9
(28.6)2.9
(37.2)9.8
(49.6)15.5
(59.9)18.8
(65.8)22.5
(72.5)23.2
(73.8)18.7
(65.7)12.9
(55.2)6.0
(42.8)?0.4
(31.3)10.37
(50.67)
出典:World Climate Wonsan, North Korea[2]
元山市日本統治時代の元山府の仲町1951年頃、米軍B26爆撃機の攻撃を受ける元山港
行政区画

45洞・14里を管轄する。

葛麻洞(カルマドン)

凱旋洞(ケソンドン)

館豊洞(クァンプンドン)

広石洞(クァンソクトン)

南山洞(ナムサンドン)

内元山洞(ネウォンサンドン)

徳城洞(トクソンドン)

東明山洞(トンミョンサンドン)

麗島洞(リョドドン)

龍下洞(リョンハドン)

栗洞(リュルトン)

明砂十里洞(ミョンサシムニドン)

銘石洞(ミョンソクトン)

訪霞山洞(パンハサンドン)

?幕洞(ポンマクトン)

烽燧洞(ポンスドン)

烽春洞(ポンチュンドン)

三峯洞(サンボンドン)

上洞(サンドン)

石隅洞(ソグドン)

石?洞(ソキョンドン)

セギル洞(セギルトン)

松川洞(ソンチョンドン)

松興洞(ソンフンドン)

勝利洞(スンニドン)

新城洞(シンソンドン)

新豊洞(シンプンドン)

新興洞(シヌンドン)

陽地洞(ヤンジドン)

臥牛洞(ワウドン)


元南一洞(ウォンナミルトン)

元南二洞(ウォンナミドン)

元石洞(ウォンソクトン)

長徳洞(チャンドクトン)

長山洞(チャンサンドン)

場村洞(チャンチョンドン)

赤川洞(チョクチョンドン)

前進洞(チョンジンドン)

中清洞(チュンチョンドン)

塔洞(タプトン)

平和洞(ピョンファドン)

浦下洞(ポハドン)

解放一洞(ヘバンイルトン)

解放二洞(ヘバンイドン)

海岸洞(ヘアンドン)

南川里(ナムチョンニ)

洛水里(ラクスリ)

龍川里(リョンチョンニ)

三台里(サムテリ)

上自里(サンジャリ)

水上里(スサンニ)

新城里(シンソンニ)

永三里(ヨンサムニ)

長林里(チャンニムニ)

竹山里(チュクサンニ)

仲坪里(チュンピョンニ)

春山里(チュンサンニ)

七峯里(チルポンニ)

?洞里(ヒョンドンニ)

葛麻洞付近に元山葛麻海岸観光地区の建設が宣言された。(2018年朝鮮中央テレビ5カ年戦略説明番組より。)
歴史19世紀の永興湾の地図。ロシア帝国は元山を「ラザレフ港」と呼んでロシア海軍の軍港として支配することを模索しており、欧米ではポート・ラザレフという名も使われていた

現在の元山港は、李氏朝鮮時代は元山津という漁村にすぎなかったが、1854年5月にエフィム・プチャーチン率いるロシアの旗艦パルラダ号が上陸し、「ラザレフ港」と命名した。1876年日朝修好条規(江華島条約)により1880年に対外開港し、後に元山日本居留地が置かれた。1910年10月1日、徳源郡は「元山府」となった[3]1914年京城府(現在のソウル)と元山府とを結ぶ鉄道京元線)が開通し、天然の良港として、朝鮮の日本海側最大の都市として発展した。

南北分断までは咸鏡南道に属していたが、1949年江原道に編入し北側の道都となる。朝鮮戦争では1950年9月、アメリカ軍を中心とする国連軍が元山上陸作戦を行ったが、中国人民義勇軍の侵攻により12月9日に韓国軍・国連軍とも撤退した。その後1951年から1953年にかけて国連軍は海上から元山港に対して砲撃を続けた。

日本統治時代1910年?1945年)においては、日本語読みで「げんざん」と呼ばれていた。地名も日本式の「町」がつくものが多かった。
年表日本統治時代の元山地図元山市街地(2008年)元山の海水浴場へ続く松林の道

この節の出典[4]

高句麗 - 於乙買とよばれた。

新羅 - 井泉郡と改称される。

高麗 - 宣州と改称される。

1413年 - 宣城郡が置かれた。

1437年 - 徳源郡と改称された。

1895年 - 二十三府制の施行により咸興府徳源郡となる。

1896年 - 十三道制の施行により咸鏡南道徳源郡となる。

1912年 - 徳源郡を廃止し元山府(新設)・安辺郡に分割編入。

1914年4月1日 - 郡面併合により、元山港付近の区域(県面・赤田面の各一部)を新たな元山府として指定する。農村部と安辺郡永豊面および下道面の麗島・高原郡下鉢面の熊島を徳源郡として編成。県面の一部が安辺郡に編入。この時点で徳源郡に以下の面が成立。(6面)

府内面・北城面・赤田面・県面・豊上面・豊下面


1939年 - 徳源郡赤田面・県面の各一部が元山府の一部になる。


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