この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "元号一覧" 朝鮮
元号一覧(げんごういちらん)では、朝鮮における歴代元号について記述する。なお朝鮮は伝統的に中国の冊封体制下に入っていたので、基本的には中国王朝の暦を用いていた。このため、朝鮮独自の元号は少ない。
三国時代「三国時代 (朝鮮半島)」も参照
高句麗延嘉七年の銘を持つ金銅如来像の光背(韓国国立中央博物館蔵)「高句麗」も参照
永楽(??) : 391年 - 412年
延寿(??) : 451年
実際にはこの他にも元号があった。たとえば延嘉七年己未銘を持つ金銅如来像が発見されており、539年に比定されている[1][2]。
新羅「新羅の入寇」も参照
建元 : 536年 - 551年
開国 : 551年 - 568年
大昌 : 568年 - 572年
鴻済 : 572年 - 584年
建福 : 584年 - 633年
仁平 : 634年 - 647年
太和 : 647年 - 650年
650年から唐の年号を用いる
慶雲 : 822年
唐滅亡後は、国際的混乱や国内の混乱により状況が明らかではないが、後梁と後唐の年号の使用が確認される。
後三国時代「後三国時代」も参照
後百濟「後百濟」も参照
正開( ?? ) : 900年 - 936年
後高句麗(摩震)(泰封)「泰封」も参照
武泰(??) : 904年 - 905年
聖冊(??) : 905年 - 911年
水徳万歳(????) : 911年 - 914年
政開(??) : 914年 - 918年
高麗「高麗」も参照
天授(??) : 918年 - 933年
この後後唐の年号を使用。後に後晋、次いで後漢の年号を使用
光徳(??) : 950年 - 951年
この後後周の年号を使用。次いで宋の年号を使用
天開(??) : 1135年(妙清が建てた私年号)
遼(契丹)に服属(993年?)後は遼の年号を使用。政治情勢に応じて遼と宋の年号の両方が現れる。遼滅亡後は金の正朔を奉じ、元に服属(1259年)すると元の年号を用いた。高麗末期の混乱期には、明の年号のほか、北元の宣光年号が確認される。
朝鮮王朝・大韓帝国(旧韓国)「李氏朝鮮」および「大韓帝国」も参照
建国当初より明国に事大し、明の年号を忠実に使用。1636年に清に服属すると、清の正朔を奉じる。また、密かに明最後の年号崇禎を使用している(崇禎紀元)。
開国(??) : 1894年 - 1896年元年を1392年とする改元を前提としない紀年法であり、厳密な意味での元号ではない。「大朝鮮五百四年」などの用例もあり、名称は一定していない。
建陽(??) : 1896年 - 1897年
光武(??) : 1897年 - 1907年光武元年10月に国号を大韓帝国に改称。
隆熙(??) : 1907年 - 1910年
日本統治時代「日本統治時代の朝鮮」も参照
明治(めいじ):1910年 - 1912年
大正(たいしょう):1912年 - 1926年
昭和(しょうわ):1926年 - 1945年
連合軍軍政期「連合軍軍政期 (朝鮮史)」も参照
元号なし:1945年 - 1948年
大韓民国「大韓民国」も参照
大韓民国(????) : 1948年8月15日 - 同年9月24日 ただし元年は1919年大韓民国臨時政府の樹立年を元年としている。
檀君紀元(????、略して檀紀) : 1948年9月25日 - 1961年12月31日 ただし元年は紀元前2333年檀君王倹が即位したとされる年を元年としている西暦2024年は、檀紀4357年である。
西暦紀元(????) : 1962年1月1日 -1961年限りで元号を廃止。
朝鮮民主主義人民共和国「朝鮮民主主義人民共和国」も参照
主体(??、チュチェ):1997年9月9日 - ただし元年は1912年金正日が提唱した暦で、金日成が生まれた年(1912年)を主体元年としている。大正(日本)や民国紀元(台湾)と年数が一緒になるが、関連は無い。これも厳密には改元を前提としない紀年法である。西暦2024年は、主体113年である。