元利親王
時代平安時代中期
生誕不詳
薨去応和4年6月17日(964年7月28日)
官位三品弾正尹
父母父:陽成天皇、母:?子女王
元利親王(もととししんのう)は、陽成天皇の第四皇子。母は?子女王。
生涯とともに元服する[1]。天暦元年(947年)頃に上野太守に任官。その他兵部卿・式部卿を経て、三品・弾正尹に至った[2]。応和4年(964年)6月17日に薨去。邸宅は上東門の北、富小路の東に位置していたが、承平5年(935年)正月22日の夜に火災により焼失した[3]。
系譜
父:陽成天皇
母:?子女王(是忠親王の娘)
生母不明の子女
男子:源忠時
女子:平子女王
脚注^ 『日本紀略』延喜17年4月29日条。
^ 『尊卑分脈』「陽成源氏」。
^ 『扶桑略記』承平5年正月22日条。