元住吉検車区
[Wikipedia|▼Menu]

元住吉検車区(もとすみよしけんしゃく)は、神奈川県川崎市中原区に存在する東急電鉄車両基地
概要

東急東横線目黒線元住吉駅の南側にあり、長津田検車区に次ぐ規模を持ち、他社線の車両も多数留置されている。また、東急電鉄の社員研修所が隣接している。

当区への入・出庫は従来、元住吉駅から行われていたが、2006年9月25日のダイヤ改正で元住吉駅が高架化されたため、地平にある検車区には駅構内から直接入・出庫することができなくなった。

現在、入・出庫は渋谷・目黒方面は武蔵小杉駅から、横浜・新横浜方面は武蔵小杉駅もしくは日吉駅から行われている。なお、当区から武蔵小杉駅への回送列車は2008年6月22日に開業した目黒線の線路を、日吉駅への回送列車は東横線の下り線に接続する下り出庫線をそれぞれ経由して運転される。また、菊名からの元住吉行だった列車は、現在回送列車として一旦武蔵小杉駅に到着後、方向転換して当区に入庫している。

敷地面積:55,309m2[1] 建物面積:4,571.4m2[1]

最大留置車両数:282両(10両編成・8両編成・6両編成を最大45編成留置可能[1]

構内には屋根付きの検査場が3線、ピット線が2線、車両洗浄線が2線、修理場(台車トラバーサー、天井クレーン、車輪転削盤)が1線ある[1]

ただし、10両編成(5050系4000番台)は車輪転削の有効長が確保できないことから、長津田検車区へ回送して実施している[1]


元住吉工場

東京急行電鉄の前身である目黒蒲田電鉄では、開業当初より奥沢駅構内に設けられた奥沢電車庫で車両工場の役割を担っていた[2]東京横浜電鉄の東横本線が開業して元住吉電車庫が設けられたが、主力の検査施設は奥沢電車庫であった[2]。しかし、東横線の渋谷への延長や大井町線の開業等により車両数が大幅に増加したため、1928年(昭和3年)1月に元住吉電車庫の敷地に元住吉工場が建設された[2]

発足当初の敷地面積は1万2,000 m2であり、施工能力は年間約50両であった[2]。この時点では東横線・目蒲線・大井町線車両の定期検査を施工していた。ただし、戦後の1946年(昭和21年)8月に東京急行電鉄に支社制が敷かれ、目蒲線・大井町線車両の検査は新設した奥沢工場に移管されたが、1950年(昭和25年)9月に元住吉工場に集約された[2]。翌1951年(昭和26年)10月、元住吉工場の拡張工事が完成し、池上線雪ケ谷工場も吸収合併され、鉄道線全線の定期検査を受け持った[2]

しかし、度重なる車両増備によって元住吉工場は施工能力の限界に達し、また隣接する元住吉検車区自体も度重なる東横線の車両増備により留置能力の不足が発生していた[2]。このため、こどもの国線沿線に新たな工場施設を建設して元住吉工場を移転させ、工場跡地を元住吉検車区の拡張に供することが決定した[2]。長津田車両工場は1970年(昭和45年)11月の操業を目標として建設工事が進められていたが、こどもの国線に東急電鉄の検査入出場車両が走ることに、厚生省大蔵省(当時)の許可が得られず、操業開始は1972年(昭和47年)10月まで遅れた[2]
沿革

なお、沿革には元住吉工場についても記載する。

1926年(大正15年)2月14日 - 東京横浜電鉄線開業に伴い、奥沢電車庫の分工場として元住吉電車庫が発足する[2]

1928年(昭和3年)1月21日 - 元住吉工場が建設され、検査業務を担当する[2]

1946年(昭和21年)8月1日 - 東京急行電鉄に支社制が敷かれ、目蒲線・大井町線車両の検査は新設した奥沢工場に移管される[2]

1948年(昭和23年)5月1日 - 元住吉工場より月検査・臨時検査を、元住吉電車区より列車検査を移管され、元住吉検車区が発足する[1]

1950年(昭和25年)9月 - 目蒲線奥沢工場を吸収合併[2]

1951年(昭和26年)10月 - 元住吉工場の拡張工事が完成し、池上線雪が谷工場を吸収合併[2]

1972年(昭和47年)10月 - 長津田車両工場発足に伴い、元住吉工場が廃止される[2]。これに合わせて検車区の拡張工事が実施される。

2000年(平成12年)8月6日 - 目蒲線の運転系統変更に伴い雪が谷検車区奥沢班を元住吉検車区に統合。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef