儀礼
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、一定の形式に則った行為や通過儀礼について説明しています。儒教の経書については「儀礼 (経書)」をご覧ください。

儀礼(ぎれい)とは、一般的な定義では「宗教的な儀式や、一定の法にのっとった礼式」を指す。

過去1世紀の文化人類学者たちの研究によって明らかになったのは、儀礼が「日常生活の中の言語や通常の技術的道具などでは表し伝え得ない、社会の連帯といった価値や、結婚といった重大なる事件を明確に表現し、心に強く刻みこむ働きを持つ」ということである。また、経済交換戦争社交挨拶といったものにも儀礼的要素が含まれており、儀礼として理解されることができ、儀礼研究の対象となっている[1]

近年欧米では、特にキャサリン・ベルやロナルド・グライムズらの活動によって儀礼一般に関する研究がひとつの学問分野として確立しつつある。しかし、ベル自身が強調しているように、この動きは欧米的な儀礼観を非欧米に押し付けるという側面をもっている[2]。言い換えれば、欧米的な儀礼観に対する非欧米文化の側からの対応が迫られている状況にある。
欧米の儀礼研究の立場からみた儀礼(英語版からの翻訳)

本項の今後の編集の参考とするため、英語版ウィキペディアの “ritual” の項(2016年8月閲覧)を和訳して以下に掲載する。この記述は事実上キャサリン・ベル『儀礼学概論』( Ritual ? Perspectives and Dimensions )の一部を骨子として略述し、そこに若干の情報を追加したものである。(以下翻訳)

メリアム=ウェブスターの辞書によれば、儀礼とは「身ぶり、言葉、物の操作などを含んだ一連の活動で、特別に隔離された場所において行われ、規定された順序で行われるもの」とされている[3]。儀礼は特定の伝統や共同体ごとに規定されている場合が多く、典型的なものとして挙げられるのは宗教共同体において規定されたものである。儀礼を特徴づける要素は、「形式主義」、「伝統主義」、「不変性」、「規則統御性」、「聖なる象徴」、「パフォーマンス」などといったものである[4]

儀礼をもたない社会というものは現在のところ知られていない[5]。通常儀礼と見なされているのは組織化された宗教の「崇拝」や「秘蹟」といった儀礼だけではなく、「通過儀礼」、「贖罪」、「浄化」、「忠誠の誓い」、「奉納式」、「戴冠式」、「大統領就任式」、「結婚式」、「葬儀」などといったものもあり、また儀礼の学術的研究の立場からは「新入生歓迎会」、「卒業式」、「クラブの集会」、「スポーツイベント」、「ハロウィーンパーティー」、「退役軍人パレード」、「クリスマス商戦」などといったものも儀礼と見なされている。また、「陪審審理」、「死刑執行」、「学術的シンポジウム」といった具体的な目的をともなって催行される活動にも各種の伝統や規定に由来する象徴的行為が多く含まれており、部分的に儀礼的な性質をふくむものと考えられている。さらに、「握手」、「あいさつ」といった日常的な行為も儀礼として考察され得るものである。

儀礼研究においては、「儀礼」という語に関して複数の対立する定義が提案されている。キュリアキディスによる定義では、儀礼とはある活動もしくは行為のセットについての外部的な視点から見た(etic)カテゴリーであり、局外者には不合理で一貫的でなく非論理的に見えるものである。この語はまた内部的な視点から(emic)パフォーマー自身によって使われることもあり、この場合、「該当の活動はイニシエーションを受けていない傍観者からは不合理・非一貫的・非論理的なものに見えるかもしれない」ということを意味している[6]

心理学では、「儀礼」という語は人間が不安を中和したり防止したりするために組織だったしかたで行う反復的行動を意味する用語として使われる場合もある。これは強迫性障害の症状である。
語源

英語の “ritual” という語はラテン語の ritualis「rite (ritus) に属するもの」からきている。ローマ時代の法的・宗教的用法では、ritus は物事を行う上での間違いないしかた[7]、言い換えれば「正しい遂行、習慣」を指していた[8]。Ritus という語は語源的にサンスクリット語の?ta に関連するものと考えられるが、この語はヴェーダの宗教においては「可視的な秩序」を意味していた。そこで「宇宙的、世俗的、人間的、および儀礼的イベントの正常な?したがって適切で自然で真実な?構造の適法的で規則的な秩序」という原義が推定される[9]。英語の “ritual” という語については 1570 年の用例が記録されており、1600 年代には「宗教的礼拝の遂行に関するあらかじめ定められた規則」、もしくは特にこれらの規則を記載した書物を指すようになっていた[10]
儀礼の特徴

儀礼にふくまれ得る行為の種類を列挙しようとしても際限のないリストになってしまうだろう。過去から現在に至るまでの社会で行われてきた儀礼に典型的に含まれているものとしては、特殊な身振りと言葉、固定されたテクストの朗唱、特別な音楽や歌やダンスのパフォーマンス、行列、何らかの物体の操作、特別な衣服の着用、特別な食物や飲料やドラッグの摂取などといったものがある[11]

キャサリン・ベルによれば、儀礼は「形式主義」、「伝統主義」、「不変性」、「規則統御性」、「聖なる象徴」、「パフォーマンス」によって特徴づけられるという[12]
形式主義

儀礼は限定され厳格に組織化された表現のセットを利用するのであるが、人類学者たちはこれを「限定コード」(より開かれた「精密コード」に対する)と呼んでいる。これは抑揚やシンタックス、語彙、音量、語順といった点について制限を受けた形式的で演説風のスタイルである。モーリス・ブロックによれば、儀礼はその参加者たちにこのスタイルを使用することを義務づける。このスタイルを採用するにあたって、儀礼指導者の発言は内容よりもスタイルに関わるものとなる。この形式的な発言においては語り得ることが限られるため、「受容、追従、もしくは少なくとも、あからさまな挑戦をしようとすることに関する自制」へと導くことになる。ブロックによれば、こうした形態の儀礼コミュニケーションは反抗を不可能にし、革命のみを可能な選択肢とするのだという。儀礼は伝統的な形態の社会的ヒエラルキーを支持する傾向をもち、権威の基礎にある想定を人々の挑戦から守ろうとする[13]
伝統主義

儀礼は伝統に訴える傾向をもち、一般的に歴史的な先例を正確に繰り返そうとすることが多い。伝統主義が形式主義と異なっているのは、前者においては歴史的なものに訴えかけながらも形式的ではない場合もあるという点である。この例として挙げられるのは、アメリカの感謝祭の夕食である。これは形式的(フォーマル)でない場合もあるが、かつての清教徒の入植地におけるイベントに(すくなくとも名目上)基づいたものとされている。歴史家のエリック・ホブスボームとテレンス・レインジャーによれば、こうしたものの多くは「つくられた伝統」なのだという。「つくられた伝統」のよく知られた例としては、イギリス王室の儀礼がある。これは俗に「千年の伝統」をもつといわれているが、実際には部分的に中世に遡り得る要素も見られるものの、全体としては19世紀に形成されたものである。つまり、こうした儀礼においては、正確な歴史的伝承よりも「歴史に訴えかけること」自体のほうが重視されているのである[14]
不変性

キャサリン・ベルによれば、儀礼はまた不変性を標榜するものであり、規定された動作を注意深く行うことが重視される。これは伝統への訴えかけというよりは非時間的な反復への志向という側面が強い。不変性への鍵は身体的訓練であり、たとえば僧院における祈りや瞑想などが例として挙げられる。これらにおいてはそれを行う人々の態度や気分が鋳造されるのである。こうした身体的訓練は多くの場合集団で一斉に行われる[15]
規則統御性

儀礼は規則によって統御される傾向がある。この特徴は形式主義にいくらか近いものである。規則は行動上のカオスに規範を課し、これによって許される行動の限界を示したり、あるいは儀礼における動作を厳密に規定したりする。各個人は共同体において認められた慣習を守り続け、こうした慣習は共同体の権威を正当なものに見えるようにし、これによって行動から発生し得る結果に制限が加えられる。たとえば、多くの社会における戦争は高度に儀礼化された制約によって縛られており、これによって戦闘遂行の正当な手段が制限される。[16]
聖なる象徴

超自然的な存在に訴えかける活動は、そのような訴えかけが非常に間接的で些細なもので、単に「聖なるものが存在し人間の側からの反応を待っている」という一般的な信仰を表現しているのみであっても、儀礼として扱われることが多い。たとえば、国旗は国家を表す記号であるのみではなく、「自由」、「民主主義」、「自由経済」、「国家的優越」といったものを示す象徴でもある[17]。人類学者のシェリー・オートナーによれば、旗はこうした諸観念の間の論理的連関についての反省を促進するものではなく、それらが社会の現実の中で一定の時間的・歴史的持続の間に展開された際の論理的帰結について考えさせるものでもない。まったく逆に、国旗はこのようなパッケージ全体への一種の「全か無か」の忠誠を迫るものであり、「われわれの旗を愛せよ。さもなくば去れ」という言葉によってもっともよく表されるところのものである[18]

聖化というプロセスを通じて個別の物体を聖なる象徴にすることもできる。これによって「俗なるもの」から切り離された「聖なるもの」を効果的に作り出すことができるのである。ボーイスカウトや各国の軍隊では、旗を畳んだり敬礼したり掲揚したりする際の公式な作法が教えられており、旗を一片の布切れとして扱ってはならないということが強調されている[19]
パフォーマンス

儀礼の遂行(パフォーマンス)によって、該当の活動や象徴やイベントの周囲に演劇的なフレームが作り出され、これによって参加者の経験、あるいは世界の認知的秩序づけが形成され、生のカオスが単純化され、そこに多かれ少なかれ一貫した意味のカテゴリーのシステムが重ね合わされる[19]。ハーバラ・マイヤーホフが述べているように、「『見ることは信ずること』であるのみではなく、『行うことは信ずること』でもあるのである[20]
儀礼の類型

概観的な見通しをよくするため、共通する特徴によって儀礼をいくつかのカテゴリーに分類しよう。個々の儀礼は複数のカテゴリーに同時に属する場合もある。
通過儀礼

詳細については通過儀礼を参照。

通過儀礼は個人のステータスを移行させる儀礼イベントである。ここで言うステータスには「誕生」「思春期」「結婚」「死」などがある。また、フォーマルな人生の段階に結びつけられていない集団(たとえば友愛結社など)へのイニシエーションもこれに含まれる。アーノルド・ヴァン・ジェネップによれば、通過儀礼には「分離」「移行」「統合」という三つの段階がある[21]。第一の段階においては、イニシエーションを受ける者はその古いアイデンティティから物理的・象徴的なしかたで隔離される。「移行」の段階においては、彼らは「どっちつかず」の状態に置かれる。ヴィクター・ターナーによれば、この段階は「境界性」(リミナリティ)によって特徴づけられるという。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef