僕とカミンスキーの旅
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僕とカミンスキー
盲目の老画家との奇妙な旅
: Ich und Kaminski
著者ダニエル・ケールマン
訳者瀬川裕司
発行日 2003年
2009年3月15日
発行元 ズーアカンプ
三修社
ジャンルコメディ、旅物語、芸術家小説
ドイツ
言語ドイツ語
ページ数 173頁(ハードカバー)
240頁(ハードカバー)
公式サイトwww.kehlmann.com
www.sanshusha.co.jp
コード ISBN 3-518-41395-3
ISBN 978-4-384-04195-8

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『僕とカミンスキー 盲目の老画家との奇妙な旅』(ぼくとカミンスキー もうもくのろうがかとのきみょうなたび、: Ich und Kaminski)は、2003年ダニエル・ケールマンが発表したドイツ小説である[1]。盲目の画家として一世を風靡しながら隠遁生活を送る老画家と、彼の伝記執筆を狙い野心に燃える冴えない美術評論家との珍道中を描いた作品である。ドイツ国内では18万部を売り上げ、26ヶ国語に翻訳されており[1][2]、日本では2009年に瀬川裕司による訳本が三修社から出版された。

2015年には『グッバイ、レーニン!』のヴォルフガング・ベッカー監督、主演のダニエル・ブリュールのコンビで映画化された。日本では2017年4月にロングライド配給で公開され、『僕とカミンスキーの旅』(ぼくとカミンスキーのたび)との邦題が用いられた。本項目ではこの映画版についても扱う(→#映画化)。
あらすじ

芽の出ない美術評論家ゼバスティアン・ツェルナーは、伝記を執筆して成功しようと、かつて一世を風靡しながらアルプスで隠遁生活を送る画家マヌエル・カミンスキーを訪ねて田舎町を訪れる。自己中心的な性格に気付かない彼は空回りしており、カミンスキーの娘ミリアムも非協力的で取材は上手く行かない。彼女の留守中に家へ忍び込んだツェルナーは、地下室のアトリエでカミンスキーの未発表作品を見つける。死んだと聞かされていたかつての恋人テレーゼの生存をツェルナーに聞かされ、カミンスキーは彼女を訪ねる旅に出るようツェルナーを急かす。

道中車を盗まれる、カミンスキーがホテルに娼婦を呼び込む、ミリアムに父の「誘拐」が露呈するなど道中はトラブル続きだが、カミンスキーは意に介せず自分の人生を語り続ける。金欠に陥ったツェルナーは、同棲解消を言い渡されたエルケのアパートへカミンスキー共々転がり込むが、帰宅したエルケは冷淡にも出て行くよう迫る。ツェルナーは彼女の隙を突いて車を盗み、テレーゼ宅への旅を続ける。

テレーゼとカミンスキーの再会は、同居人ホルムの無遠慮な発言もあって失敗に終わる。また、ミリアムがエルケの車からふたりの居場所を突き止め、道中盗まれた後に返ってきたカミンスキー家の車でテレーゼ宅へやってくる。彼女はカミンスキーの伝記作家には別人がいること、テレーゼとの関係は伝記作家対策で清算済だったことを明かす。父と別れを告げるようミリアムに急かされツェルナーは車中でふたりきりになって話すが、海を見たがる[注釈 1]カミンスキーは、彼にミリアムを振り切って海へ向かうよう指示する。カミンスキーの言葉で全てがどうでも良くなったツェルナーは、今まで書いた原稿やインタビューのテープを全て海へ捨てる。カミンスキーは「やがて娘が来る」と海辺に座り、互いの幸運を祈った後で、全てを捨てたツェルナーは海辺を離れた。
登場人物
ゼバスティアン・ツェルナー
31歳の美術評論家で、カミンスキーの死後伝記を出版して名前を売ることを目論む。仕事はぱっとせず、エルケの家に居候状態だが、恋人の出来た彼女に別れを告げられる。フォトリアリズムの作家である
バルトゥスルツィアン・フロイトのインタビューに失敗し[注釈 2]、消去法的に同じジャンルのカミンスキーを取材対象に選ぶ[3]
マヌエル・カミンスキー
数々の有名人を知人に持ち、フォトリアリズムの代表作家となりつつも、目の病気を患ってアルプスへ隠遁した画家。心臓の持病を抱えている。養父は有名な詩人リヒャルト・リーミングで、アンリ・マティスは師匠、パブロ・ピカソは友人だったほか、ジャン・コクトージャコメッティとも知り合いだった[5][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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