「僕が僕であるために
(MY SONG)」
尾崎豊の楽曲
収録アルバム『十七歳の地図』
リリース1983年12月1日
規格LP
ジャンルロック
時間4分52秒
レーベルCBSソニー
作詞者尾崎豊
作曲者尾崎豊
プロデュース須藤晃
その他収録アルバム
ARTERY & VEIN : THE VERY BEST OF YUTAKA OZAKI(1999年)
WEDNESDAY ?LOVE SONG BEST OF YUTAKA OZAKI(2008年)
ALL TIME BEST(2013年)
カバー
Mr.Children(2004年)
中村あゆみ(2009年)
馬場俊英(2011年)
miwa(2012年)
Infinix & Voices(2012年)
『十七歳の地図』収録曲
A面
1.「街の風景」
2.「はじまりさえ歌えない」
3.「I LOVE YOU」
4.「ハイスクールRock'n'Roll」
5.「15の夜」
B面
6.「十七歳の地図」
7.「愛の消えた街」
8.「OH MY LITTLE GIRL」
9.「傷つけた人々へ」
10.「僕が僕であるために」
「僕が僕であるために」(ぼくがぼくであるために)は、日本のシンガーソングライターである尾崎豊の楽曲。英題は「MY SONG」(マイ・ソング)。
1983年12月1日にCBSソニーからリリースされたファースト・アルバム『十七歳の地図』に収録されている。作詞・作曲は尾崎、編曲は町支寛二が担当している。プロデューサーであった須藤晃によれば、それまでの尾崎の曲にはなかった第三者による視点が初めて表現された曲であり、須藤は『十七歳の地図』の収録曲の中で最も尾崎らしい曲であるとも述べている。
初期のライブにおいて必ず演奏されていたが、1985年以降のコンサートツアーにおいてセットリストから外された。しかし1988年の東京ドーム公演にて久しぶりに演奏され、1991年のコンサートツアー「TOUR 1991 BIRTH」においても演奏された。
フジテレビ系テレビドラマ『僕が僕であるために』(1997年)の主題歌として使用された他、後年Mr.Childrenや中村あゆみ、miwaなどの著名なミュージシャンによってカバーされており、馬場俊英によるカバーバージョンがテレビ東京系テレビドラマ『鈴木先生』(2011年)のエンディングテーマとして使用された。目次 アルバム『十七歳の地図』のレコーディングは1983年7月30日18時から開始され、当時高校三年生であった尾崎にとって初となるレコーディングとなった[1]。尾崎は夏休み前に校内での喫煙や渋谷での飲酒、騒乱によって無期停学となっており、その期間にレコーディングが開始される事となった[2]。7月30日から31日にかけて本作と「愛の消えた街」、「15の夜」の3曲のリズム録りが行われている[1]。 アルバム『十七歳の地図』は1曲目の「街の風景」から始まり、尾崎は周囲の街の風景を歌っている曲が多い事から「冷たい街の風に歌い続けてる」というフレーズで終了する本作が最終曲として選定される事となった[3]。また、それまでの尾崎の曲には無かった第三者的な視点で客観性がある事も最終曲に選定される要因となった[3]。 プロデューサーである須藤晃は、尾崎が自分自身を懸命に描写した曲が「街の風景」であり、この曲から歌を歌い始めた尾崎が社会との折り合いの付け方、両親に対する思いや自身の弱さを克服するにはどうしたら良いのかについて結論を出した曲が本作であると述べている[3]。尾崎はジャクソン・ブラウンのアルバム『孤独なランナー』(1977年)に影響され「街の風景」や「ダンスホール」などを制作したが、これらの曲にはない第三者的な視点が本作では描写されていると須藤は述べ、またその視点が次作となる『回帰線』(1985年)に受け継がれているとも述べている[3]。 歌詞中にある「勝ち続けなければならない」という箇所に関して、尾崎は負けず嫌いであり努力家でもあったと須藤は述べている[3]。当初はピアノが弾けずギター演奏も下手であった尾崎だが、須藤が「どんなに有名な野球の選手だって、最初からホームランを打っていたわけじゃないだろう。ひたすら練習する事で、克服してきたんだよ」と告げると、尾崎は後に様々な楽器が演奏できるようになったという[3]。また須藤は「街の風景」を制作した頃の尾崎は自身しか見えていない純粋で傲慢な子供であったと述べ、本作を制作した頃には周囲の大人達と自身を比較した表現や周囲の人間から見た自身の姿を描くようになっており、「いい意味でも悪い意味でも歌がプロっぽくなっている」とした上で「愛の消えた街」と比較して同一人物が制作した曲とは思えないほど落ち着いていて余裕がある曲であると述べている[3]。 須藤は新聞社の人間などから本作は須藤が制作したのではないか、ブルース・スプリングスティーンの曲を須藤が解釈して尾崎に伝え、それを基に尾崎が制作したのではないかと疑問を投げかけられた事があると述べている[3]。
1 録音
2 音楽性と歌詞
3 受容
4 ミュージック・ビデオ
5 ライブ・パフォーマンス
6 メディアでの使用
7 カバー
8 スタッフ・クレジット
8.1 参加ミュージシャン
8.2 スタッフ
9 脚注
9.1 注釈
9.2 出典
10 参考文献
録音
音楽性と歌詞