働かない権利
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京都府の前進友の会での働かない権利については「ブラック企業」をご覧ください。

働かない権利(はたらかないけんり)とは、障害者などが障害病気などの状態悪化を防ぐため、または障害などが重度で勤労がほぼ不可能な者があえて勤労を避けることを求める、または他人から精神的な手段などで勤労を強要されることを拒否することで平穏に暮らしていく権利があると主張する自己決定権思想である。障害者分野の反社会復帰とセットになって語られることが多い。

精神障害分野においては、作業をすることを前提としない福祉施設(居場所)が登場しており、問題は解消されている(後述)。

障害者分野における人権問題であり、本人に障害や病気が見つかっていない場合の引きこもりニートの分野は除かれる。

障害者による国家や社会への生存権の要求であり、アナキズム(国家や宗教など一切の政治的権威と権力を否定し、自由な諸個人の合意のもとに個人の自由が重視される社会を運営していくことを理想とする思想[1][2][3])ではない。

概要

本人が生存するために消費が必要であり、そのために生産が必要であり、労働は必要であるが、本人が働くため、働けるようになるために本人が要するコスト、それによって結果がどれほどのものになるか、この両方を見た場合に、本人に対して害が大きいことがある[4]。この場合、自ら労働を避け、他人から精神的な手段などで労働を強要されることを拒否することで社会で生存していく権利(生存権)があるということを一部の障害者が主張している自己決定権思想である。精神障害者患者会のうちかつてあった「精神病」者グループごかいが中心となって一部の精神障害者やその患者会による独自の造語である[5]

労働とは、資本主義社会では、労働は倫理的性格の活動ではなく、労働者の生存を維持するためにやむをえなく行われる苦痛に満ちたものである[6]新古典派経済学[7]。意外に思われるが共産主義社会でも同じである[8]

アメリカ哲学者ハンナ・アーレントも著書『人間の条件(1958年)』にて、労働(Labor)とは人間が動物の一種として、生命や生活の維持のために必要に迫られて行うような作業のことをいい、生み出される生産物消費されるものであり、永続性を持たない特徴があるとしている。永続性のあるものは、道具や作品を創作するもの(「仕事(Work)」という)、政治芸術のような社会歴史を形成する表現行為(「活動(Action)」という)をいう[9]

日本憲法に規定されている勤労については、後述する日本国憲法の勤労の義務規定を参照されたい。
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この節の加筆が望まれています。

西洋における労働
古代

古代ギリシアでは労働は奴隷のすることであって[10]ポリスに暮らす人々からは軽蔑されていたという。生きる必要に迫られてする労働は動物的なレベルに留まるものだと考えられていたからである[11]
旧約聖書の記述

旧約聖書においてはとの扱いで、創世記第3章19節アダムに科した罰であるとされている[12][13]。第3章19節:(省略)あなたが大地に戻るまで、あなたは顔に汗して、食物を得ることになろう。(以下略)[13]
新約聖書の記述山上の垂訓
カール・ハインリッヒ・ブロッホ

新約聖書ではマタイによる福音書(マタイ伝とも呼ばれている)第6章28節から29節にはイエス・キリスト山上の垂訓(山上の説教とも)で怠惰について説いていることが記述されている[14]

テサロニケの信徒への手紙二」という使徒パウロ[注釈 1]のテサロニケ教会[注釈 2]へ送った手紙のなかの3章10節に「働きたくないものは食べてはならない」との一節がある。ここで書かれている「働きたくないもの」つまり「怠惰なもの」とは、働きたくても働くことができないで人の世話になっているといった、やむを得ない生活をしている人のことではなく、正当で有用な仕事に携わって働く意志をもたず、拒んでいる者のことである[16][注釈 3][注釈 4]。詳細は「パウロ書簡」、「テサロニケの信徒への手紙一」、および「テサロニケの信徒への手紙二」を参照
中世から近世

キリスト教宗教改革16世紀)以前は、貧しい人を救う役目はキリスト教会の役割[注釈 5]であったが、宗教改革はこれを一変させた。マルティン・ルター1520年に発表した『ドイツ貴族に与える書』で「怠惰と貪欲は許されざる罪」であり、怠惰の原因として物乞いを排斥し、労働を「神聖な義務である」とした。ジャン・カルヴァンは『キリスト教綱要』でパウロの「働きたくない者は食べてはならない(新約聖書テサロニケの信徒への手紙二」3章10節[19])」という句を支持し、無原則な救貧活動を批判した。


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