傷寒雑病論
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『傷寒論』(しょうかんろん、繁体字: 傷寒論; 簡体字: ?寒?; ?音: Sh?nghan lun)は、後漢末期から三国時代張仲景が編纂した伝統中国医学の古典。内容は伝染性の病気に対する治療法が中心となっている。目次

1 概要

2 起源

3 傷寒とは

4 解釈の相違

5 中国と日本の違い

6 傷寒論に収載される方剤のうち有名なもの

7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

概要 傷寒論(写本)

現伝の『宋版傷寒論』は「辨脈法」「平脈法」「傷寒例」「辨痙湿?脈證」「辨太陽病脈證并治(上・中・下)」「辨陽明病脈證并治」「辨少陽病脈證并治」「辨太陰病脈證并治」「辨少陰病脈證并治」「辨厥陰病脈證并治」「辨霍亂病脈證并治」「辨陰陽易差病脈證并治」「辨不可發汗病脈證并治」「辨可發汗病脈證并治」「辨發汗後病脈證并治」「辨不可吐」「辨可吐」「辨不可下病脈證并治」「辨可下病脈證并治」「辨發汗吐下後病脈證并治」の篇からなりたっている。

このうち一般に辨太陽病脈證并治?辨厥陰病脈證并治までは「三陰三陽篇」といわれ、辨不可發汗病脈證并治?辨可下病脈證并治までは「可不可篇」といわれる。「三陰三陽篇」では、病気を太陽(たいよう)・陽明(ようめい)・少陽(しょうよう)・太陰(たいいん)・少陰(しょういん)・厥陰(けついん)の6つの時期にわけ、それぞれの病期に合った薬を処方することが特徴的である。
起源

建安という年号が終わって10年にもならない頃(建安元年から10年にもならない頃の説もある。また、建安ではなく建寧であろうとの説もある)に張仲景が、一族の者を傷寒で多く失ったため、記したのが本書と言われる。張仲景の名が張機で、長沙太守だったと唐代にかかれた『名医録』に記載され『宋版傷寒論』の序文に宋臣によって引用された説もあるが、正史である『後漢書』『三国志』にはその名がみられない。自序に「傷寒・雑病の論」とあることから傷寒雑病論(繁体字: 傷寒雜病論; 簡体字: ?寒?病?; ?音: Sh?nghan zabing lun)を原題名とする説や、傷寒卒病論が原題とする説があげられているが、5世紀の『小品方』に『張仲景弁傷寒并方』、『張仲景雑方』と記録されていることから『張仲景方』もしくはそれに類した名称で呼ばれていたのだろうと類推されている。しかし、これらの書は失伝した。

傷寒論は数多くの治療家に編纂・校訂された。そしていつ頃か、傷寒を扱った部分と雑病を扱った部分に分かれた。前者は『(張仲景)傷寒論』と題され、唐代に医師の国家試験テキストとされた[1]

西晋の王叔和が撰した『脈経』には、現伝の『宋版傷寒論』と一致する条文が多くみられる。宋改を経た『脈経』はの何大任倣宋本が日本に現存する。

太平御覧』に引用された『養生論』に「王叔和 性沈静 好著述 考覈遺文 采?群論 撰成脈経十巻 編次張仲景方論 編為三十六卷 大行於世」とあり、王叔和が『張仲景方論』を編したことが記されているがこの書は失伝した。

代の孫思?が著した『千金方』第九には、傷寒が収められている。


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