健康づくり
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健康づくり(けんこうづくり、Health promotion)、ヘルスプロモーションは、世界保健機関の提唱する、人々が健康を管理し、より健康にすごせる可能性を模索する方法である[1][2]アメリカ合衆国では、健康づくりはより狭義に「適正な健康状態の獲得を目的とした、生活様式の改変を支援する科学と技術」であると考えられている

世界保健機関による健康づくりの定義のドラフト会議の記録は、健康づくりの精神と意義、挑戦を巧みに表現している。以下は、冒頭部分の引用である[3]

「健康づくりには、健康づくりと生活様式・生活環境の改善とを、一元化した発想が必要である。健康づくりは、人々と環境との仲介的戦略を採用し、また健全な未来に向けて、個人の選択と社会的義務を統合する。

健康の源は収入、住居、そして食糧にある。健康の増進には、これらの基礎を支える強固な基盤が必要である。また、情報と生活技能、健康をつかむための機会、物品、設備、施設をもたらす支援環境、そして経済的物理的社会的文化的「総合的」環境も重要である。

人々と環境の関連は、健康への社会経済的アプローチの基本であり、これこそ本会議の概念的枠組みである。本会議では、健康づくりの精神、目的とする領域、開発の優先順位、そして健康づくりの抱えるジレンマの4つのテーマを議題とする。」

背景

健康づくりの考え方は、19世紀から20世紀にかけて社会のありかたの変化や個人という概念の台頭、そしてさまざまな医学的発見に影響され、揺れ動きつつ、現在あるような考え方へと収束していった[4]
産業革命の影響Coalbrookdale at night, 1801 Artist: Philipp Jakob Loutherbourg the Younger

健康づくりの考え方の発祥は、19世紀の公衆衛生の先駆者の仕事にまで、さかのぼる。19世紀のイギリスでは、産業革命の影響を受け、大きな街の労働者には、貧困と過酷な労働状況、劣悪な生活環境と、いくつもの重荷が背負わされていた。この恐るべき社会的状況は、必然的にいくつかの社会的課題へと帰結した。その一つが、コレラインフルエンザなど感染性疾病の大流行である。疾病は、市民にあまねく広がり、社会の安定への脅威となった[5]

エドウィン・チャドウィックトマス・サウスウッド・スミスのような改革者たちは、地方自治体の改革を通じた社会状況の改善を強く訴えた。1875年に彼らの訴えは一つの法令に結実する。都市の水道供給、下水処理、動物処理の管理について定めた公衆衛生法令(en:Public Health Act of 1875)の採択である[6]。法令に基づいた環境の整備は、感染性疾病の減少に大きな影響を及ぼした。トマス・マキューンが考察したように、これは、臨床医学が感染症の病原体や抗菌薬を発見するよりずっと前の出来事であった[7]
医学的発見の影響

19世紀の後半までに、疾患の流行による脅威はいくぶんか低下することとなった。また数多くの医学的発見は人間の生物医学的な性質を明らかにしつつあった。また個人のありかたも時代とともに変化し、健康づくりの考え方は、環境的な手段から、個人教育に焦点が絞られるようになり始めた。健康づくりはやがて、この教育的な手法へ偏るようになった[8]。教育的な健康づくりは、次第に心臓病の予防、がんの予防、高血圧の予防、糖尿病の予防と健康を脅かす多くの疾患の一つ一つの予防を重視する風潮へと発展していくこととなる。また、情報キャンペーンや、より病気になりやすい人を特定し、予防する手法なども、広まっていった。
ラロンド・レポートによる展望詳細は「ラロンド・レポート」を参照

しかし、 社会環境から健康づくりを支援するという考え方は、下火となることはあっても、途絶えることはなかった。1974年には、当時すでに世界的となっていた教育的な健康づくりと、 社会環境の改善を基盤とした健康づくりとを統合するきっかけとなる報告が、カナダから発信された。それがカナダの厚生大臣マルク・ラロンドによる「死亡と疾患の大きな原因は、生物医学的な特性にあるのでは無く、環境的な要因、個人の行動、そして生活様式にある」という報告である[9]。この報告は、ややもすれば個人へと偏りがちだった健康づくりの視点を、人々と環境の両方へ向けさせる上で、大きな役割を果たした。この流れを汲み1986年に世界保健機関は、カナダのオタワにて第1回健康づくり国際会議[10]を開催することとなった。
健康づくり国際会議詳細は「健康づくり国際会議」を参照

1986年11月26日、ラロンド・レポートにより流れ始めた新たなる公衆衛生の潮流への高まる期待に対する回答として、カナダのオタワ市にて第1回健康づくり国際会議が開催された。ここで採択された健康づくりのためのオタワ憲章では、2000年までにすべての人が健康を獲得することを目標として、保健政策や支援環境といった、健康づくりを構成する考え方が提示され、健康に影響を与える要素を包括的に管理する視点と方法が示された[11]。またオタワ憲章のシンボルマークも作成され、これは現在に至るまで世界保健機関の提唱する健康づくりの象徴として扱われている。

健康づくり国際会議では、回を重ねる度に、オタワ憲章の考え方が強調されており、また1997年の第4回以降は健康の(社会的)決定要因への取り組みの重要性が訴えられている[12]
健康づくりを構成する考え方詳細は「健康づくりのためのオタワ憲章」を参照

健康づくりは、さまざまな概念から構成されているが、大きく分けて、健康の前提条件、3つの基本戦略、5つの活動領域から説明されている。健康づくりのためのオタワ憲章に示された考え方・方法は、当初の目標であった2000年以降の世界情勢の変化、新たなる知見・研究結果などを踏まえた2005年の国際会議においても推進はされても、否定はされていない。
健康の前提条件

健康の前提条件は、健康の基本となる状況と資源であり、それは以下からなる。
平和

住居

教育

食糧

収入

安定した環境

持続可能な資源

社会的公正公平

これら健康の前提条件は、1998年に健康の社会的決定要因として整理された[13]
基本戦略
推奨する: 健康の利点を明らかにすることで、健康的な環境の創造を推進する

可能にする: 健康のための機会や資源を確保することで、健康面での潜在能力を引き出せるようにする

調停する: 健康の追求において利害関係の対立する立場を仲立ちし、健康づくりにむけた妥協点を模索する

健康づくりのための基本戦略は、現地における実際のニーズや実現の可能性から、それぞれの社会、文化、経済までを配慮し、適用される。
活動領域
保健政策の制定

支援環境の整備

地域活動の強化

情報スキルと教育スキルを介した個人スキルの開発

疾病の予防と健康づくりのための医療の再設定

保健政策については保健政策についてのアデレード勧告において、支援環境の整備については健康の支援環境についてのスンツバル声明において、より深く掘り下げられている。
健康づくりと関連する考え方

健康づくりをよりよく理解するために、関連する考え方のいくつかを紹介する。これらのいくつかは、健康づくりと直接の関連があるわけではないが、健康づくりを理解するうえで有用である。
健康の社会的決定要因詳細は「健康の社会的決定要因」を参照

健康の社会的決定要因は、人々の健康を規定する経済的社会的状況である[14]。疾病は一般に、社会経済政治環境的な状況に関連しており、これらへの取り組みを通して健康づくりを推進しようという働きかけがある。

健康の社会的決定要因が示唆するものは、個人の健康は、個人では管理できない状況に左右されている、ということである。これは世界保健機関による健康の定義にも合致する理念である。

1997年健康づくりを21世紀へと誘うジャカルタ宣言にて健康の決定要因の重要性が強調される[15]と、1998年マイケル・マーモットとリチャード・ウィルキンソンらによる知見の整理により、健康と社会とを結びつける現実的かつ政策的な概念として成熟した。
限りある資源

開発途上国においては、資源・医療資源の不足については、議論の余地はないであろう。健康づくりとは、医療資源の不足している、開発途上国に固有の課題であるという認識を、誤解であると強調するために、よく引用される。

健康づくりのためのオタワ憲章では、健康の前提条件の1つに持続可能な資源を挙げている。


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