偕楽園
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この項目では、茨城県水戸市にある公園について説明しています。北海道札幌市にあった公園については「偕楽園 (札幌市)」をご覧ください。

偕楽園公園
Kairakuen Garden[1]
偕楽園の千波湖の北西に位置する
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
分類都市公園(広域公園)
所在地日本茨城県水戸市見川
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度22分23秒 東経140度27分22秒 / 北緯36.37306度 東経140.45611度 / 36.37306; 140.45611座標: 北緯36度22分23秒 東経140度27分22秒 / 北緯36.37306度 東経140.45611度 / 36.37306; 140.45611
面積

13ha[2][3](拡張部を合わせると300ha)
開園1842年天保13年)7月1日
設計者徳川斉昭(好文亭の配置・建築意匠など)[2]
運営者茨城県
年来園者数21万9574人[4]
現況

年中開放但し、偕楽園本園及び歴史館の区域は2/20?9/30の間午前6時から午後7時まで、10/1?2/19の間午前7時から午後6時まで。また、有料公園施設の好文亭は2/20?9/30の間午前9時から午後5時まで、10/1?2/19の間午前9時から午後4時30分まで。
公式サイト公式ウェブサイト
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偕楽園(かいらくえん、: Kairakuen Park[5])は、茨城県水戸市にある日本庭園である。国の史跡及び名勝に指定されている(指定名称は「常磐公園」[6])。伝統的に、後楽園岡山県岡山市)や兼六園石川県金沢市)と並んで日本三名園の一つに数えられている。

現在は隣接する千波湖周辺の拡張部を含めた広域公園の一部となっている[3]文化庁認定日本遺産“近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―”のストーリーを構成する水戸市内の文化財の一つでもある[7][8]
概説

偕楽園には、拡張部を含めない本園部分だけで100種3000本のが植えられており、早春には観梅客でにぎわう[9]。園内には梅の異名「好文木」に由来する別荘好文亭[注釈 1] があるが、古代中国武帝学問に親しむと花が開き、学問をやめると花が開かなかったという故事に基づいている。藩校弘道館」は偕楽園と一対の施設であり、同じく梅の名所である。

水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)は、1833年天保4年)藩内一巡後、水戸の千波湖に臨む七面山を切り開き、回遊式庭園とする構想を持った。造園は長尾景虎(後の上杉謙信)を輩出した長尾家の本草学者である長尾景徳が実施した。同じく彼の設立した藩校弘道館」で文武を学ぶ藩士余暇休養の場へ供すると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと、この巨大な大名庭園は斉昭自らにより「偕楽園」と名づけられた。「偕楽」とは中国古典である『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節から援用したもので、斉昭の揮毫『偕楽園記』では「是れ余が衆と楽しみを同じくするの意なり」と述べられている[10]水戸学へ帰着する斉昭の愛民精神によりこの庭園は、江戸時代当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていた[11]

伝統を受け継ぎ、日本三名園のうちで唯一、偕楽園のみが入園無料であったが(ただし、前述の好文亭を利用する場合は有料)、2019年2月12日、管理する茨城県が、県外からの観光客を対象に2019年秋にも有料化する方針を発表。2019年2月16日から始まる「水戸の梅まつり」で、園内の一部有料施設で身分証の確認など、県民と県外在住者を区別する実証実験を行うとした[12]。同年6月の茨城県議会に関連条例改正案が提出され、6月24日に可決・成立[13]。同年11月1日から、茨城県民であることを示す身分証明書がない入園者は有料化された[14]

上記のように、偕楽園では毎年2月中・下旬から3月下旬に、水戸の梅まつりが開催される。水戸の梅まつりは、2016年時点で120回開催された。開催期間中には多数の観光客で賑わい、キャンドルライトを使って梅をライトアップする夜梅祭や茶会など、種々様々な催し物が行われる。また園内で4月には水戸の桜まつり、5月には水戸のつつじまつり、9月には水戸のまつりが行われる。偕楽園公園を含め8月には水戸黄門まつりが行われる。関連の観光大使として、水戸市により水戸の梅大使が毎年選出されている。

また、毎年6月第2土・日曜日に、梅の実を偕楽園公園センターで頒布する[15][16][17]。ただし、平成28年は不作だったため、6月11日土曜日のみの頒布となる予定[18]。また、令和2年に関しては収穫した実の一般向け販売は中止し、梅干しなどの製造業者に提供となる[19]

なお、頒布価格は平成26年は梅1袋(1.5キログラム)あたり300円で1人2袋まで、平成27年は梅1袋(1.5キログラム)あたり300円で1人3袋まで、平成28年は梅1袋(1キログラム)あたり200円で1人1袋まで。

偕楽園の本園は約13haであったが、茨城県は1999年(平成11年)、隣接する千波公園や桜川緑地などと合わせて広域公園として運営する構想を発表、面積の合計は300haとなった[2]。茨城県営の都市公園「水戸県立自然公園」として管理・運営されている[20]。.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}好文亭から見た見晴広場と梅林夜梅祭でライトアップされた梅林夜梅祭のキャンドルライト
略史

1829年文政12年):10月17日、徳川斉昭、第9代藩主となる。

1833年天保4)4月?5月:斉昭は藩内を一巡後、常磐町 (水戸市)の高台、七面山と称した地に回遊式庭園を設けることを決定。

1839年(天保10年)5月:『偕楽園記』(園創設の趣旨と経過)成る。

1841年(天保12年)4月:建設着手。

1842年(天保13年)7月1日:偕楽園開園[21]


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