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垂仁天皇の皇女については「倭姫命」をご覧ください。
倭姫王
第38代天皇后
皇后天智天皇7年2月23日(668年4月10日)
父親古人大兄皇子
配偶者天智天皇
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下坂本陵墓参考地
(滋賀県大津市)
倭姫王(やまとひめのおおきみ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。舒明天皇の第一皇子・古人大兄皇子の娘。母は未詳。叔父にあたる天智天皇の皇后。ただし、子女は無し。 大化元年9月12日(645年10月7日)[1]、父・古人大兄皇子は謀反の罪で中大兄皇子に誅されたとする説がある。天智天皇7年2月23日(668年4月10日)、中大兄皇子が大王に即位したことにより大后となる。 天智天皇が病に倒れた際、大海人皇子(後の天武天皇)は「倭姫王が即位し、大友皇子が太政大臣として摂政を執るべき」むね進言した[2]。また、天智天皇崩御後に倭姫王の即位または称制があったとする説もある。 天智天皇の危篤・崩御の際に詠んだ歌4首が『万葉集』2-147、2-148、2-149、2-153に収められている。
生涯
関連項目
大友皇子即位説
倭姫王が登場する作品
漫画
里中満智子『天上の虹』
長岡良子『夢の奥城』
脚注^ ここでは、吉備笠垂(きびのかさのしだる)の密告日(9月12日)の内に、中大兄が討伐命令を出し、古人大兄が死亡した場合の日付を採用している。日本書紀には、11月30日の事として中大兄が討伐を命じ、古人大兄を殺させたむね記した「ある本」一書が引用されている。 - 「巻第二十五 孝徳天皇 古人大兄の死」 『日本書紀(下)全現代語訳』 宇治谷 孟訳(講談社学術文庫)1988年、164頁
^ 「巻第二十七 天智天皇 天智天皇崩御」 『日本書紀(下)全現代語訳』 宇治谷 孟訳(講談社学術文庫)1988年、239頁
表
話
編
歴
日本の皇后
伝承の時代
|
古墳時代
媛蹈鞴五十鈴媛命
五十鈴依媛命
渟名底仲媛命
天豊津媛命
世襲足媛
押媛命
細媛命
欝色謎命
伊香色謎命
御間城姫
狭穂姫命
日葉酢媛命
播磨稲日大郎姫
八坂入媛命
気長足姫尊
仲姫命
磐之媛命
八田皇女
草香幡梭皇女
忍坂大中姫
中蒂姫命
草香幡梭姫皇女
難波小野王
春日大娘皇女
春日娘子
手白香皇女507?-539?
春日山田皇女534?-539?
橘仲皇女535?-539?
石姫皇女540?-572?
広姫575?
額田部皇女577?-592
穴穂部間人皇女585?-622
飛鳥時代
宝皇女630-642
間人皇女645-665
倭姫王668-?
?野讚良皇女673-690
奈良時代
藤原安宿媛729-749
井上内親王770-772
平安時代
藤原乙牟漏783-790
藤原帯子806贈
橘嘉智子815-823
高志内親王823贈
正子内親王827-833
藤原穏子923-931
藤原安子958-964
昌子内親王967-973
藤原?子973-979
藤原遵子982-1000
藤原定子990-1000
藤原彰子1000-1012
藤原妍子1012-1018
藤原?子1012-1025
藤原威子1018-1036
禎子内親王1037-1051
藤原?子1037-1039
章子内親王1046-1068
藤原寛子1051-1069
藤原歓子1068-1074
馨子内親王1069-1093
藤原賢子1074-1084
?子内親王1091-1093
篤子内親王1093-1114
令子内親王1107-1134