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倭国大乱
戦争:倭国大乱
年月日:2世紀後半
場所:倭国
結果:卑弥呼の王即位に伴う終結
交戦勢力
不明不明
指導者・指揮官
不明不明
戦力
不明不明
損害
不明不明
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倭国大乱(わこくたいらん)は、弥生時代後期の2世紀後半に倭国で起こったとされる争乱。中国の複数の史書に記述が見られる(倭国大乱もしくは倭国乱)。
倭国の地域は特定されていないが、列島規模であったとする見方もあり、日本史上初の大規模な戦争(内戦)だとする意見もある。 中国の正史、『後漢書』「東夷伝」、『三国志』(魏志倭人伝)、『梁書』諸夷「東夷諸戎」倭などに、倭国大乱(『後漢書』「東夷伝」)または倭国乱(『三国志』(魏志倭人伝)、『梁書』諸夷「東夷諸戎」倭)として、概要次の通り記述されている。 以下の2正史の記述は上記3書の引き写しである。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
概要
倭国はもともと男子を王としていた(57年に後漢の都洛陽に遣使して漢委奴国王印を贈られた委奴国王、107年に後漢に遣使した倭面土国王帥升等)。
70?80年を経て、倭国内で大乱(国王の座を争う内乱)が発生した。
争乱は暦年(中国正史で歴年とは平均して8年±数年)続いた。
邪馬壹国が勝利し、邪馬壹国の一女子を王とすることで国中が服した。名を卑弥呼という。
『三国志』魏書 卷30 東夷伝 倭人(魏志倭人伝)
「其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿」其の国もまた元々男子を王として70?80年を経ていた。倭国乱(倭国王の座を争う内乱。王位争奪は良く有る事だが、外国史書がわざわざ記すのは国王の座に交替があった場合のみ)。8年±数年間も相互に攻め合った。そこで、一人の女子を共立して王にした。名は卑弥呼という。鬼(神)道を用いてよく衆を惑わした。年齢は35歳を過ぎ(中国史書では35歳に達すると年長大と表現される)、夫は無かった。
『後漢書』卷85 東夷列傳第75
「桓 靈 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主 有一女子 名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆 於是共立爲王」桓帝・霊帝の治世の間(146年 - 189年)、倭国大乱(倭国王の座を争う内乱。外国史書がわざわざ記すのは国王の座に交替があった場合のみ)、さらに互いに攻め合い、8年±数年も主無き状態となった。卑弥呼という名の一人の女子が有り、年長だが嫁いでいなかった。鬼神道を用いてよく衆を妖しく惑わした。ここに於いて共立し王にした。
『梁書』卷54 列傳第48 諸夷傳 東夷条 倭
「漢靈帝光和中,倭國亂,相攻伐?年,乃共立一女子卑彌呼爲王。」(後)漢の霊帝の光和年間(178?184)、倭国乱(倭国王の座を争う内乱。外国史書がわざわざ記すのは国王の座に交替があった場合のみ)、8年±数年も相互に攻め合った。そこで、一人の女子卑弥呼を共立して王にした。
『隋書』卷81 列傳第46 東夷傳 ?國
『北史』卷94 列傳第82 倭國
議論
出典検索?: "倭国大乱"
上記両書に若干の差異があることから、その解釈をめぐり多くの議論が行われている。
男子王
『後漢書』東夷伝に、永初元年(107年)、倭国王帥升が後漢へ使者を出したとあるが、帥升以前に倭国王の存在が史書に見えないことから、中国王朝が公認した初の倭国王は帥升だったとし、魏志倭人伝の記述は、帥升に始まる倭国王の系統が70 - 80年存続したことを表す、とする議論がある[誰?]。