倍賞美津子
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ばいしょう みつこ
倍賞 美津子
生年月日 (1946-11-22) 1946年11月22日(77歳)
出身地 日本茨城県[1]
血液型B型
職業女優歌手
ジャンル映画・テレビドラマ・舞台
活動期間1967年 -
配偶者アントニオ猪木1971年 - 1988年
著名な家族倍賞千恵子(実姉)
倍賞明(実兄)
倍賞鉄夫(実弟)
サイモン猪木(元娘婿)
猪木寛子(娘)
事務所ロータス・ルーツ
公式サイト ⇒MITSUKO BAISHO OFFICIAL SITE
主な作品
映画
復讐するは我にあり[1]
影武者』/『陽暉楼
楢山節考』(1983年)
恋文』/『』/『うなぎ』テレビドラマ
3年B組金八先生』/『瑠璃の島
東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン?
龍馬伝』/『梅ちゃん先生
半沢直樹』/『下町ロケット』シリーズ
ブラックペアン[1]

 受賞
日本アカデミー賞
最優秀主演女優賞
第9回『恋文』『友よ、静かに瞑れ』
最優秀助演女優賞
第21回『うなぎ』優秀助演女優賞
第3回『復讐するは我にあり
第7回『陽暉楼』『楢山節考
第26回『OUT
ブルーリボン賞
助演女優賞
1979年『復讐するは我にあり』
その他の賞
キネマ旬報賞
主演女優賞
1985年生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『恋文
助演女優賞
1997年東京夜曲』『うなぎ毎日映画コンクール
女優主演賞
1985年生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『恋文
女優助演賞
1997年東京夜曲』『うなぎ報知映画賞
主演女優賞
1985年生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『恋文
助演女優賞
1983年『陽暉楼』ほか
1997年東京夜曲』『うなぎ日刊スポーツ映画大賞
助演女優賞
1998年秘祭』『ラブ・レター』ほか高崎映画祭
最優秀主演女優賞
2004年ニワトリはハダシだ

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倍賞 美津子(ばいしょう みつこ、1946年昭和21年〉11月22日 - )は、日本女優歌手茨城県出身。事務所はロータス・ルーツ。
来歴・人物

疎開先の茨城県で生まれ[2]、4歳のとき[2]東京都北区滝野川に戻り[2]北区立紅葉中学校卒業[1]後、1962年松竹音楽舞踊学校に入学した。1965年松竹歌劇団に第18期生として入団する。学校生時代の舞台実習を経て、同年、グランドレビュー「東京踊り」でデビュー。同年、新人賞を受賞した。浅草国際劇場を中心に歌とダンスで活動を続ける。

1967年、『純情二重奏』で実姉の倍賞千恵子と異母姉妹を演じ映画デビューを果たす。1969年五社英雄監督の『人斬り』で京都市民映画祭の新人賞を受賞する。その後は松竹に入社しデビュー作の『喜劇・女は度胸』以来、森崎東監督の作品に出演を続け、看板女優の一人となった。『人生劇場』に出演。

1971年プロレスラーアントニオ猪木と結婚し、当時1億円の結婚式で話題になった[3][4]新日本プロレスの旗揚げ戦時には宣伝カーのナレーションを吹き込んだり[4]豊登道春が紹介した融資先に自身が行ったことで1000万円を融資してもらえたりと、新日本プロレスの旗揚げには倍賞の貢献があった。1976年のパキスタン遠征に帯同したのは印象的であり、試合で猪木がアクラム・ペールワンに勝利し、ペールワンの肩を折ったことで暴動が起きかねなかった状況に対して倍賞は「新間さん、私はいいからアントンを頼むわ。」と、冷静な対応をしたと伝わる[5][4]

1979年今村昌平監督の『復讐するは我にあり』にてブルーリボン助演女優賞を受賞して女優としての地位を確立する[1]。庶民的な姉の千恵子とは異なり、都会的な女の情念を表現し独自の世界観を切り開いた[1]。今村監督作品をはじめ、黒澤明監督作品や五社監督作品に多く起用された。

1985年、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『恋文』の演技で国内の映画賞を総なめにする。

1988年、猪木と離婚。離婚の原因については猪木の不倫騒動であり、倍賞もその後、『ショーケン』こと歌手で俳優の萩原健一との熱愛[1]が報じられた[4]。元新日本プロレス社長のサイモン猪木は、実娘でミュージカルアニー』でアニー役を演じた元女優の猪木寛子の元夫である(娘婿)。弟の倍賞鉄夫(2017年8月8日逝去)も長年新日本プロレスでリングアナを務め、後に猪木事務所の社長に就いた。

2002年、『OUT』などの演技で田中絹代賞を受賞する。2003年5月の『新日本プロレス30周年記念東京ドーム大会』にサプライズゲストとして現れ、元夫の猪木とともに「1、2、3、ダー!」を披露した[4]
エピソード

2014年(平成26年)、『キネマ旬報』発表の「オールタイム・ベスト日本映画男優・女優」女優部門で第11位となった [6]

新日本プロレス旗揚げ戦(1972年3月6日/東京都大田区体育館)で、倍賞が自ら宣伝カーのナレーションを担当したことや、1976年に行われたアントニオ猪木vsモハメド・アリ戦の時に、記者会見で猪木が着用した紋付袴の着付けを自分が行った、などと言ったことがあった[7]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2000年前後に六本木3丁目で居酒屋ばいしょうを姉妹で経営していた。[要出典]

2005年に漫画家の青山剛昌と声優の高山みなみが結婚した際は後見人を務めた。

落語家の柳家権太楼とは幼なじみで、小学校と中学校が同じである。[要出典]

アントニオ猪木の誕生日パーティーの際、頭からリボンを垂らして玄関から飛び出し「私がプレゼント!」と叫び、猪木を驚かせたこともある。[要出典]

3年B組金八先生』では、主人公・坂本金八(武田鉄矢)の同僚の養護教諭・天路里美(通称・アマゾネス)役で第1、第2シリーズに出演。第2シリーズ終了後に金八と結婚する設定になっているが、第4シリーズ開始前に里美は死去した設定になった為、以降は坂本家に飾られる遺影として出演していた(死去の設定後の作品では声の出演で2度登場)。

出演
テレビドラマ

新三匹の侍 第7話「荒馬娘が吠える町」(1970年、フジテレビ) - お圭 役

徳川おんな絵巻 第3話「いれずみ美女」、第4話「炎の肌」(1970年、関西テレビ) - お咲 役

大河ドラマNHK

春の坂道(1971年) - おさめ 役

龍馬伝(2010年) - 岩崎美和


顔で笑って(1973年 - 1974年、TBS) - 花田徳子 役

ふりむくな鶴吉 第17話「冬の女」(1975年、NHK) - あや 役

剣と風と子守唄 第18話「母ちゃんの鐘」(1975年、日本テレビ) - おたつ 役

ナショナルゴールデン劇場 七色とんがらし (1976年、NETテレビ) - 鮫島直子 役

新・座頭市 第3シリーズ 第6話「糸ぐるま」(1979年、フジテレビ) - おヨネ 役

探偵物語(1979年 - 1980年、日本テレビ) - 相木政子 役

土曜ワイド劇場 夜の終る時 警官殺しを追え!(1979年、テレビ朝日

3年B組金八先生(1979年 - 、TBS) - 坂本(天路)里美 役

源氏物語(1980年、TBS)

蒼き狼 成吉思汗の生涯(1980年、テレビ朝日) - ボルテ


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