倍賞千恵子
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ばいしょう ちえこ
倍賞 千恵子
『小説倶楽部』1962年3月号より。
生年月日 (1941-06-29) 1941年6月29日(82歳)
出生地 日本 東京都豊島区西巣鴨
東京都北区滝野川[1]育ち)
血液型B型
職業女優
歌手
声優
ジャンル映画
テレビドラマ
活動期間1954年 -
配偶者小六禮次郎[1]
著名な家族倍賞明(弟)
倍賞美津子(妹)
倍賞鉄夫(弟)
公式サイト倍賞千恵子 オフィシャルウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
太陽ともぐら
お姉ちゃん
ぼくの姉さん』 映画
下町の太陽[1]
男はつらいよ[1]<シリーズ全50作>
幸福の黄色いハンカチ[1]
遙かなる山の呼び声
駅 STATION
PLAN 75』劇場アニメ
劇場版 機動戦士ガンダムI
ハウルの動く城
天気の子

 受賞
日本アカデミー賞


最優秀主演女優賞

1981年遙かなる山の呼び声』『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花

ブルーリボン賞


主演女優賞

2023年PLAN 75

助演女優賞

1976年男はつらいよ 寅次郎相合い傘

その他の賞
毎日映画コンクール
女優主演賞
1971年家族』『男はつらいよ 望郷篇
女優演技賞
1981年『遙かなる山の呼び声』
1982年駅 STATION

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倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年昭和16年〉6月29日[1] - )は、日本女優歌手声優愛称は「チコちゃん」。

妹は女優の倍賞美津子。弟は日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明[注釈 1]新日本プロレスリング元専務取締役で二代目リングアナウンサーの倍賞鉄夫。夫は作曲家小六禮次郎
来歴・人物
生い立ち

西巣鴨生まれ。東京都北区滝野川に育つ。戦時中は茨城県疎開。北区立滝野川第六小学校、北区立紅葉中学校(現・北区立滝野川紅葉中学校)卒業[1]。父は都電運転士、母は車掌であった[3]
倍賞家

珍しい倍賞姓は秋田県鹿角郡(現 鹿角市十和田大湯にルーツを持つ[3]。先祖は佐竹藩に仕えた守衛で、先祖の一人に頭の良い人がいて書記に抜擢され、何かの賞を受けたのがこの姓の由来という[3]。足軽として挙げた武功が秀でており、二倍の恩賞を受けたことから、倍賞姓を名乗るようになったという[4]。千恵子の父 美悦は当地の出身で、中学のとき東京に出て、数え年15のとき少年車掌の試験を受け合格した[3]。母 青木はなは茨城県真壁郡大和村(現 桜川市)出身[3]。母も小学校卒業後、東京で女子車掌となり美悦と知り合い結婚した[3]
SKD入団

幼少時は「のど自慢」荒らしとして知られ、1954年にポリドールより「ひばりの赤ちゃん」で歌手デビューを果たす。(SPレコード)みすず児童合唱団を経て、1957年、松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団、若くして「逸材」と注目される[1]。同期に榊ひろみ松竹女優)、加藤みどり声優)らがいる。学校時代の実習出演を経て、同年、グランドレビュー「東京踊り」で初舞台を踏む。この年から、首席入団生にフィナーレの先頭を切って大階段を降りる栄誉が与えられ、バトンガールに扮した倍賞がその初代を勤めた。
映画デビュー1962年1963年山岡荘八著『徳川家康』の新聞広告。倍賞は「撮影待ちの時、レコーディングのあいまに、寸暇を惜しんで読んでいます」とコメントを寄せている(1963年)[5]1965年

1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演[1]して以降、山田作品に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。

1963年に『下町の太陽』で、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出場した(詳細は下記参照)。他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。


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