倉橋_(海防艦)
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倉橋
東京湾で公試中の倉橋
(1944年2月・推定)
基本情報
建造所日本鋼管鶴見造船所
運用者 大日本帝国海軍
第二復員省/復員庁
艦種海防艦(日本海軍)
掃海艦(第二復員省/復員庁)
特別輸送艦(復員庁)
級名御蔵型海防艦
建造費5,112,000円(予算成立時の価格)[注 1]
艦歴
計画マル急計画
起工1943年6月1日
進水1943年10月15日
竣工1944年2月19日
最期1948年1月15日解体終了
除籍1945年11月30日(日本海軍)
1947年9月4日(復員庁)
要目(竣工時)
基準排水量940トン
全長78.77m
最大幅9.10m
吃水3.05m
主機艦本式22号10型ディーゼル2基
推進2軸
出力4,200hp
速力19.5ノット
燃料重油 120トン
航続距離16ノットで5,000カイリ
乗員定員149名[注 2]
兵装45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基
25mm機銃 連装2基
九四式爆雷投射機2基
爆雷120個
単艦式大掃海具1組
搭載艇短艇3隻
レーダー22号電探1基
ソナー九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
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倉橋(くらはし)は[1]、日本海軍の海防艦[2][3]御蔵型海防艦の5番艦[4]。艦名は広島県倉橋島にちなむ。
艦歴
計画-竣工-練成

マル急計画の海防艦甲型、第310号艦型の18番艦[注 3]、仮称艦名第327号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙型(基本計画番号E20)の基本計画が決定したため、それに従って建造されることとなった。当初は第322号艦型となっていたが、基本計画番号E20の建造は予定を繰り上げて第320号艦を第1艦とした第320号艦型に改められた。

1943年(昭和18年)6月1日、日本鋼管株式会社鶴見造船所で起工。8月31日、日本鋼管株式会社で建造の海防艦に「倉橋」と「千振」の艦名が与えられた[1]。同日附で海防艦3隻(淡路、倉橋、千振)は御蔵型海防艦に類別された[3][注 4]。本籍を横須賀鎮守府と仮定。10月15日、進水。12月20日、艤装員事務所を日本鋼管鶴見造船内事務所に設置し事務開始。1944年(昭和19年)2月19日、倉橋は竣工した[4][7]。艤装員事務所を撤去。同日付で本籍を横須賀鎮守府に、役務を横須賀鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる[8]。呉防備戦隊に編入され[9][10]、練成教育訓練に従事する[11]
1944年3月-10月 ヒ船団護衛

1944年(昭和19年)3月10日、倉橋は呉防備戦隊より除かれる[12]。同10日付で、海上護衛総司令部隷下で南西方面のシーレーン防備を担任する第一海上護衛隊に編入される[13][14][7]。同時期、軽空母海鷹[注 5]第九三一海軍航空隊九七式艦上攻撃機を搭載し、九州の佐伯で訓練をおこなっていた[18]。11日から16日にかけて、倉橋は海鷹の着艦訓練に協力する[14]。訓練終了後、3月17日付で海鷹は第一海上護衛隊に編入される[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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