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くらしき やすお倉敷保雄
プロフィール
出身地千葉県
国籍 日本
生年月日 (1961-03-11) 1961年3月11日(63歳)
最終学歴東洋大学社会学部
職歴ラジオ福島アナウンサー兼プロデューサー、文化放送記者
ジャンルサッカー中継の実況
配偶者小林千鶴
公式サイト ⇒今夜はRocketPunch!
出演番組・活動
出演中『Foot!』
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
倉敷 保雄(くらしき やすお、1961年3月11日[1] - )は、日本のフリーアナウンサー。現在は主にサッカー中継の実況アナウンサーとして活動中。 大阪府生まれだが、幼少期に何度も引っ越しを繰り返した末に、小学校から大学時代の前半までを千葉県で過ごしているため、公式プロフィール上の出身地を千葉県としている[2]。千葉時代には休み時間や放課後には友人とサッカーを楽しむ一方、試合に出られそうにないと試合を抜けて図書館に行ったり野原で虫を捕ったりするという生活を送っていたという[3]。千葉県立船橋西高等学校(現・千葉県立船橋啓明高等学校)から東洋大学社会学部に進学[4]。 大学ではアナウンス研究会に所属し、放送業界への就職を目指すようになる。元々はラジオ局のディレクターを目指していたという[5]が、次第にスポーツアナウンサーの道を目指すようになり、幼少期から中日ドラゴンズファン[注釈 1]で「中日戦の実況がしたい」との想いから名古屋の放送局を受験したが、合格はならず[4]。さらに、後に某FM局に合格したものの単位が足りずに大学卒業が出来なかったために就職は叶わず[5]、翌年ラジオ部門がありアナウンサー職の募集を行っている放送局を数局受験したところラジオ福島に入局が決まる[5]。 しかし当時ラジオ福島には自社で手がけていたスポーツ番組が「福島競馬実況中継」程度しかなく[6]、アナウンサー兼プロデューサーとして音楽番組に力を入れるようになる。プロモーターを頼って独力でゲストとの出演交渉を行う[6]など「楽しかったことは9割9分が音楽」と述懐するほど音楽番組に力を注ぐが、入局から5年半後の1988年8月に母親の病気[注釈 2]を理由にラジオ福島を退社。半年間を結婚式の司会などのアルバイトで食いつないだ後に記者職で社員を募集していた文化放送に入社。報道部に2年、スポーツ部に半年在籍して退社[7]。このタイミングでラジオ福島の先輩であった八塚浩の所属している圭三プロダクションを通じてNHK総合テレビのスポーツ番組でのナレーションの仕事[注釈 3]を引き受けて、フリーアナウンサーとしてのキャリアをスタートさせる[8]。 サッカー実況を担当するようになったのは、Jリーグが開幕した1993年。文化放送時代の人脈を通じてJリーグ中継の実況を単発で担当し、その映像を当時スポーツ・アイのサッカー中継に関わっていた会社の人物に持って行ったところ、同局のエールディヴィジ(オランダ)とカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(ブラジル)の中継を担当することになる[8]。
略歴