俺たちに明日はない
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俺たちに明日はない
Bonnie and Clyde

監督アーサー・ペン
脚本デヴィッド・ニューマン
ロバート・ベントン
製作ウォーレン・ベイティ
出演者ウォーレン・ベイティ
フェイ・ダナウェイ
音楽チャールズ・ストラウス
撮影バーネット・ガフィ
編集デデ・アレン
配給WB7
公開 1967年8月4日
モントリオール国際映画祭
1967年8月13日
1968年2月17日
上映時間112分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
製作費$2,500,000(当時)
興行収入 $22,500,000
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『俺たちに明日はない』(おれたちにあすはない、原題:Bonnie and Clyde)は、1967年製作のアメリカ映画世界恐慌時代の実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた犯罪映画

アメリカン・ニューシネマの先駆的作品の1つであり、画期的な映画と見なされている。映画における多くのタブーを破ったことで、カウンターカルチャーを支持する人々には「ラリーの叫び」と見なされた[1]。この成功により他の映画製作者は、自分の映画でセックスと暴力を表現することにオープンになった。映画のエンディングは「映画史上最も血なまぐさい死のシーンの1つ」として象徴化された[2][3]

本作は第40回アカデミー賞助演女優賞(エステル・パーソンズ)と最優秀撮影賞を受賞した[4]。1992年には、「文化的、歴史的、美術に重要」としてアメリカ国立フィルム登録簿に選ばれた[5][6]
あらすじ左からジーン・ハックマンエステル・パーソンズウォーレン・ベイティフェイ・ダナウェイマイケル・J・ポラード

クライド・バロウは刑務所を出所してきたばかりのならず者。平凡な生活に退屈していたウェイトレスのボニーはクライドに興味を持ち、クライドが彼女の面前で食料品店の強盗を働くことで更に刺激される。二人は車を盗み、町から町へと銀行強盗を繰り返すようになる。

やがて、頭の鈍いガソリンステーションの店員C・W・モス(マイケル・J・ポラード)が車の整備係として仲間入りする。更にクライドの兄バック(ジーン・ハックマン)と彼の妻ブランチ(エステル・パーソンズ)も一行に加わり、ボニーとクライドの強盗団はバロウズ・ギャングとして新聞で大々的に報道されるようになる。貧しい銀行の客からは金を奪わないそのスタイルは、世界恐慌時代のロビン・フッドとして持て囃された。

強盗団は捜査の網を掻い潜り逃走を続けていた。ある日、彼らはテキサス・レンジャーの一人ヘイマーを捕らえ、彼を辱めたのち手錠を掛けて池に漂流させる。一仕事を終えた後に空き家で寛いでいた強盗団は、テキサス・レンジャーたちに襲撃された。バックとブランチは逮捕され。ボニーとクライドも銃弾を受けるが、辛くもC・Wと共に逃走する。隠れ家を求めてボニーとクライドは、強盗団の中で唯一身元が判明していないC・Wの父親であるアイヴァン・モスの農場を訪ねる。一行はそこで傷が癒えるまで潜伏することになった。

アイヴァンの農場で束の間の安息を楽しむボニーとクライド。二人はここで初めて情を交わす。一方その頃、警察に拘留中のブランチは、復讐に燃えるヘイマーに言葉巧みに誘導尋問され、C・Wの本名を喋ってしまう。また、ボニーとクライドを匿うアイヴァンも内心は二人のことを快く思わず、我が子可愛さに警察と司法取引を交わす。

怪我から回復した後、買い物をするため隠れ家から出てきたボニーとクライドは、待ち伏せしていたヘイマーたちの一斉射撃を浴びて絶命するのだった。
登場人物
クライド・バロウ
ならず者。刑務所を出てすぐ、ボニーの家の車を盗もうしたことから彼女と知り合う。ボニーと意気投合し、銀行強盗・殺人を繰り返す。
ボニー・パーカー
テキサスの田舎町でウェイトレスとして働いている女性。出所したクライドとの出会いから犯罪に惹かれ、彼と行動を共にする。
C・W・モス
愚鈍だが車に詳しい不良青年。貧しい農家の息子。ボニーとクライドにスカウトされる。
バック・バロウ
クライドの兄。途中で家に訪れたクライドと合流し、妻ブランチと共に犯罪に手を染める。
ブランチ・バロウ
バックの妻。牧師の娘でボニーとは反りが合わない。最後に両眼を負傷して、重要な役割を演ずる。
フランク・ヘイマー
テキサス・レンジャーの隊長。ボニーとクライドに捕まり恥を晒す。それ以降執拗に強盗団を追いかける。
ユージン・グリザード
ボニーとクライドに車を盗まれた青年。連中を追いかけたが逆に捕まり、同じ車に乗せられる。職業は葬儀屋。
ベルマ・デービス
ユージンの恋人。彼と一緒にクライドたちの車で連れ回されることになる。
アイヴァン・モス
妻を亡くした農夫。犯罪に手を染めた息子C・Wを救うため警察と取引をする。
キャスト

役名俳優日本語吹替
NETテレビ
クライドウォーレン・ベイティ野沢那智
(内田夕夜)
ボニーフェイ・ダナウェイ平井道子
(小林優子)
バックジーン・ハックマン大平透
(福田信昭)
ブランチエステル・パーソンズ寺島信子
(渡辺美佐)
C・W・モスマイケル・J・ポラード朝倉宏二
フランクデンヴァー・パイル 大木民夫
マルコムダブー・テイラー寄山弘
ヴェルマエヴァンス・エヴァンス恵比寿まさ子
ユージンジーン・ワイルダー野田圭一
不明
その他杉田俊也
清川元夢
渡辺典子
北村弘一
今西正男
島木綿子
矢田稔
たてかべ和也
緑川稔
緒方敏也
神谷明
仲木隆司
槐柳二
石森達幸
加藤正之
稲葉まつ子

演出春日正伸
翻訳進藤光太
効果PAG
調整山田太平
制作日米通信社
解説淀川長治
初回放送1974年1月16日
日曜洋画劇場

2016年3月22日WOWOWでカット部分を追加録音したものが放送。出演者の大半が故人だった故各声優の部分は別の声優が代役を務めている。なお当初はバック役の大平透のみ再登板が予定されていたものの、大平の体調不良で実現がかなわなかった(初回放送の半月後に逝去)[7]
スタッフ

監督:
アーサー・ペン

製作:ウォーレン・ベイティ

脚本:デヴィッド・ニューマンロバート・ベントン

撮影:バーネット・ガフィ

編集:デデ・アレン

音楽:チャールズ・ストラウス

サウンドトラック盤

フラット&スクラッグス「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン


チャールズ・ストラウス

日本語版スタッフ

演出:
春日正伸

翻訳:進藤光太

調整:山田太平

選曲:赤塚不二夫[8]

効果:PAG

制作:日米通信社

解説:淀川長治

NETテレビプロデューサー:植木明

製作

1960年代に『エスクァイア』で編集者をしていたデヴィッド・ニューマンロバート・ベントンが、ボニーとクライドを扱った本に感銘を受けたのが映画製作の始まりである[9]。ニューマンとベントンは共同でボニーとクライドを主役にした映画の脚本を執筆、二人が書き上げた脚本を読んで心を動かされた映画俳優のウォーレン・ベイティが脚本の映画化を決意した。映画化にあたり、ベイティは作品のプロデューサーを担当することになった。

映画のプロデューサーになったベイティは、当初ヌーヴェルヴァーグの旗手として知られていたフランソワ・トリュフォーを監督候補に考えていた[10]。トリュフォーもこの企画に対して深く興味を示したが、撮影が始まる際に長年の念願だった『華氏451』の製作が決まり、彼はそちらを監督するためにプロジェクトから離脱した[11]。次に映画製作者たちは新たな監督候補としてジャン=リュック・ゴダールに接近したが、結局これも合意には至らなかった。最終的にアーサー・ペンが監督を担当することで映画の撮影が開始された。また、当初ベイティはプロデューサーに専念する予定で、主役の一人であるクライド・バロウ役は、ボブ・ディランが史実のクライドに面影や雰囲気が似ている事からベイティは彼にオファーした。しかしディランは出演を承諾する事はなく納得できるキャストがみつからずベイティ自身が結果的に演じることになった。
公開

映画は1967年8月4日にモントリオール映画祭(現在のモントリオール世界映画祭とは別のもの)で先行上映された後、同年8月13日に全米公開された。ワーナー・ブラザースは最初この映画を「B級映画」としか考えておらず、ドライブインシアター用の映画としてか、もしくは少数の映画館で限定上映しようとしていた[10]。しかし公開されるや否やその斬新な内容が批評家たちに絶賛され、また映画に共感した若者たちが次々と上映館に集まりだした。これが良い宣伝になり映画の上映規模は大幅に拡大、最終的に大規模なヒット作になった。ワーナー・ブラザースはこの映画の成功をほとんど予測していなかったので、ベイティにプロデューサーとしての最低賃金を払う代わりに、映画の利益の40%を支払うという前代未聞の条件を提示していた。結局この映画は5000万ドル以上を売り上げ、ベイティも一財産を築くことになった。
評価

『俺たちに明日はない』は、アメリカン・ニューシネマの先駆けとして、アメリカ映画史上特別な地位を占める作品である。悲惨な最期を遂げる犯罪者を主役に据えたこと、銃に撃たれた人間が死ぬ姿をカット処理なしで撮影したこと(映画中盤でクライドに撃ち殺された銀行員がその最初の例とされる[9])、オーラルセックスやインポテンツを示唆するシーンを含めたことは、1960年代当時としては衝撃的なものだった。特に映画のラストシーンで87発の銃弾を浴びて絶命するボニーとクライドの姿(通称「死のバレエ」)は、当時の若者の反響や後続の映画製作者に大きな影響を与えた。

本作は映画公開後も、その反体制的な内容や暴力性、犯罪者がヒーローであるストーリーから、保守的な評論家からの非難に晒された。特に当時『ニューヨーク・タイムズ』の批評家だったボズレー・クラウザーの批判は過激で、映画を酷評するレビューを3回も掲載したという。しかし『ザ・ニューヨーカー』の批評家ポーリン・ケールや、当時駆け出しの映画評論家だったロジャー・イーバートが映画を賞賛したことで風向きが変わり、結果1960年代のアメリカ映画を代表する傑作として認知されるようになった。


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