俳句の団体について解説する。俳句に関する団体は全国的な組織から、学校・職場・地域の小規模な句会やサークルまで様々であるが、正岡子規によって開始された近代俳句はある時期から結社形式の組織に担われて発展した。また俳壇を組織化するためのいくつかの団体が全国規模で組織されており、国際的な団体もある。 ある文学理念を提唱する主宰者の元で主に俳句雑誌を出すことを目的として集まった作家集団が俳句結社である[1]。こうした形態は明治30年前後に短歌の世界で始まっており、落合直文のあさ香社(1893)、佐佐木信綱の竹柏会(1896)、与謝野鉄幹の東京新詩社(1899)などの例が早い[2]。俳句の場合は正岡子規が、総合文芸雑誌『ホトトギス』や新聞の俳壇で活躍していたこともあり、同人誌を中心とした結社が形成されたのはそれよりは遅い[要出典]。新傾向俳句の荻原井泉水が主宰した『層雲』は1911年の創刊であり[3]、『ホトトギス』が同人制を実施したのは1924年のことである[4]。『ホトトギス』は多くの俳人を育てたが、それらの俳人はやがて離脱してそれぞれの結社を組織し、互いに競い合うようになった[5]。 2005年には全国の俳句結社数は800?1000と推定されており、生成消滅を繰り返しながらも増加傾向にあるとされている[1]。 国内のあらゆる文化活動が大政翼賛会の中に組み込まれて行く中、1940年12月に高浜虚子や小野蕪子らの呼びかけで「国民詩たる俳句によって新体制に協力」する日本俳句作家協会
結社
協会