修道中学校・高等学校
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修道中学校・修道高等学校

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度22分23秒 東経132度27分25.6秒 / 北緯34.37306度 東経132.457111度 / 34.37306; 132.457111座標: 北緯34度22分23秒 東経132度27分25.6秒 / 北緯34.37306度 東経132.457111度 / 34.37306; 132.457111
過去の名称講学所
講学館
学問所
修道館
浅野学校
国公私立の別私立学校
設置者学校法人修道学園
設立年月日1725年
創立記念日11月4日
創立者浅野吉長
共学・別学男子校
中高一貫教育併設型
課程全日制課程
単位制・学年制単位制
設置学科普通科
学期2学期制
学校コードC134310000015 (中学校)
D134310000013 (高等学校)
高校コード34501G
中学校コード340236[1]
所在地730-0055
広島県広島市中区南千田西町8番1号
外部リンク公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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修道中学校・修道高等学校(しゅうどうちゅうがっこう・しゅうどうこうとうがっこう)は、広島県広島市中区南千田西町に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校

私学藩校広島藩「講学所」、1725年)を起源とする数少ない[注 1]学校で、学校としては国内屈指の歴史をもつ。
概要渡り廊下(2022年に解体)

1725年享保10年)に広島藩第5代藩主浅野吉長が設置した藩校「講学所」を起源としている。広島藩校は「講学所」「講学館」「学問所」と校名を変えながら続き、1870年(明治3年)、第12代藩主浅野長勲が城中八丁馬場へ移して「修道館」と称した。これが現校名の由来となっている。

広島藩校が起源の学問所が私立学校となったのは、廃藩置県1871年)により休業となったのち、1878年(明治11年)6月、浅野長勲が「修道館」を継承し泉邸内に設立した「私立浅野学校」による。

1881年(明治14年)11月「修道学校」、1905年(明治38年)4月「財団法人私立修道中学校」、1907年(明治40年)1月南竹屋町へ移転、1926年(大正15年)3月南千田町に移転(現校地)、1947年(昭和22年)4月新制「修道中学校」、1948年(昭和23年)5月新制「修道高等学校」となり、現在に至る。

「修道」の名は、四書の一つ『中庸』の「修道之謂教」(道ヲ修ムル之ヲ教ヘトイフ)の言葉に基づく[2]

建学の精神は「道を修めた有為な人材の育成」である。教学目標は「知徳併進」であり、その実践に向けた心得として「尊親敬師」「至誠勤勉」「質実剛健」を掲げている。

2000年に校舎の新築工事を開始し、2003年に終了した。正門から一番に見える渡り廊下(右写真)は、旧校舎時代のものをそのまま現校舎に残したものである。2010年に総合体育館が完成した。

多彩な分野にリーダーを輩出し[3]、特に政界、官界、財界、医療界で活躍する卒業生が多い[注 2][注 3][注 4]

60分授業であり、一般の学校でいう部活動は「班」活動と呼ばれる。

学校行事も多彩である。6月下旬に行われる体育祭、10月下旬 - 11月上旬の文化祭(文化祭は「〇〇〇年祭」と創立からの年数を表した名称となる(例えば2023年度は298年祭)。これは創立記念日が11月4日であるため)に加えて宿泊行事がある。数々の集団行事は重要な学びの場であり、「自治向上の精神」の育成に欠かせないとしている。

現在の校長は田原俊典(第20代)。10月中旬にはオープンスクールが催されている。
教育理念
「知徳併進」
1905年(明治38年)、私立修道中学校(旧制)が設立された時に定められた。急激に文明開化が進んだがゆえに、知識偏重に陥った
明治という時代に対して「学問の精神は物知りだけではいけない、人間器量の大成でなくてはならぬ(修道学園史より)」という強い主張が込められている[4]。創立時の広島藩「講学所」では、藩の将来を担うことのできる、教養と礼儀を身につけた、志の高い人を育てることを目指していた[5]
校風

生徒の行動を規定する校則を設けておらず、自由な校風である[6]

「自治向上の精神」は、「責任ある自由」とも言い換えている。行動の主体はあくまでも生徒とし、教員はスポーツでいう「コーチ」のような存在として、他者との関わり自らが考え行動することで真の主体性を備えた人間を目指している。

また、質実剛健な校風でも知られ[7]、快活でバンカラとも評される[8][9][10]

オーケストラや観劇などの芸術観賞など、多彩な全人教育が行われている。近年はグローバル教育やICT教育にも力を入れている[11]
制服

初級(1年・2年)、中級(3年・4年)、上級(5年・6年)ごとに制服形態が決められており、学年が上がるにつれて着こなしの幅が増え、緩くなる。中級ではネクタイと靴の着用が任意で、上級では私服の着用も可(ただし、式典等では制服着用が義務付けられている)[12]

袖口に白い線が入っている[13][14]のが特徴的で、修道生のシンボルとなっている。これは、戦時中、避難する際に他校の生徒と区別するために付けた白線が起源である[15]。2003年度より制服のデザインが変更され、濃紺金ボタンの学生服からブレザーになったが、伝統の袖口の白線は残された[16]。デザインは小野塚秋良[13][14]

入学年度によって異なる緑・黄・赤・白・金茶・青の6色の学年色があり、卒業まで同じ色が割り当てられる。バッジやシャツのロゴは学年色のものを付けて学校生活を送る。卒業後には『?期赤バッジ』などと表現される。
班活動

部活動は「班活動」と呼ばれる。「文化班」「運動班」のそれぞれに各班が所属する。

サッカー班は戦前に4回全国大会に出場し3位1回と準優勝1回[17]、戦後はインターハイに6回出場し2回優勝、国体には8回出場し4回優勝している[18]。ワンダーフォーゲル(登山)班はインターハイの常連で6回優勝している[19][20]


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