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修辞技法(しゅうじぎほう)とは、文章やスピーチなどに豊かな表現を与えるための一連の表現技法のこと。英語の「figure of speech」やフランス語の「figure de style」などから翻訳された現代語的表現で、かつての日本語では文彩(ぶんさい)、また単に彩(あや)などといっていた。 修辞技法はギリシア・ローマ時代から学問的な対象として扱われており、修辞学(レトリック、Rhetoric)という学問的存在の領域となっている。 西洋の古典修辞学者らによって Scheme(配列を変えること)と Trope(転義、比喩)に大別された。 西洋の古典修辞学者たちは修辞技法を大きく次の2つに分類した。 しかしルネサンス期になると、修辞学者たちは全修辞技法の分類に情熱を傾け、作家たちは修辞技法の種類・下位分類の種類を広く拡張した。ヘンリー・ピーチャム
概説
分類
Scheme - 言葉のパターン(配列)を通常のパターン、あるいは予想されるパターンからそらせる修辞技法。
比喩(Trope。転義法とも) - 語の一般的な意味を変えたり修飾したりする修辞技法。
尚、日本における修辞の名称は、各国修辞学における文献において英、独、仏語やラテン語を各学者などが和訳したものであり、名称の表記に揺れがあることを留意すべきである。また、以下に述べる用例文は、一般書籍からの引用ではなく、技法を文献から咀嚼した上であくまで例として記述したものである(一般書籍から引用すると、註釈で多くの頁を割くことになることと、文体、歴史的仮名遣などの問題が発生するため)。
比喩詳細は「転義法」を参照
比喩(譬喩、ひゆ)とは、字・語句・文・文章・出来事・作品全体などの物事を、それと共通項
のある別の物事に置き換えて表現する手法である。読み手に対し、例えられる物事を生き生きと実感させる効果を持つ。比喩を用いた修辞法を比喩法といい、佐藤信夫他著の『レトリック事典』では直喩、隠喩、換喩、提喩を指している。直喩(ちょくゆ、明喩(めいゆ)、シミリー)とは「(まるで・あたかも)?(のようだ・ごとし・みたいだ)」のように、比喩であることを読者に対し明示している比喩である。直喩を用いた修辞法を直喩法という。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…』で知られる『平家物語』の序段は、この直喩の典型例である[独自研究?]。日本では現代でも頻繁に用いられてはいるが、近現代の西洋ではあまり洗練された技法とはみなされておらず(ある意味で野暮な技法だと見なされており)、文筆家・作家・詩人・知識人などの文章では、直喩よりも隠喩(次項参照)のほうが頻繁に用いられる[要検証 – ノート]。
用例
赤ん坊の肌はまるで綿飴のようにふわふわだ。
鳥みたいに羽が生えたら自由に空を飛べるのに。
息子は二宮金次郎のごとく、勉学に励んだ。
あいつのいない夏休みなんて真夏のスキー場みたいなものだ。
隠喩法 詳細は「メタファー」を参照
隠喩(いんゆ、暗喩、メタファー)に分けられるものは、比喩であることが明示されていない比喩である。隠喩を用いた修辞法を隠喩法という。
用例
夜の帷が静かに幕を下ろす。
この思い出を忘れまいと、心の宝石箱に仕舞い込んだ。
満天の星が二人の間に降り注ぐ。
などで、いずれも「まるで」「ごとし」「ようだ」などといった比喩を明示するための語が用いられていない。直喩に比べて、より洗練された比喩だとされる。
「すし詰め状態」「団子レース」「マシンガントーク」などのように定型句となった表現も見られる。
換喩法詳細は「換喩」を参照
換喩(かんゆ、メトニミー)とは表現する事柄をそれと関係の深い付属物などで代用して表現する比喩である。換喩を用いた修辞法を換喩法という。また「永田町」と言って国会を、「葵の御紋」と言って徳川家を指すのも換喩の一種とされ、『象徴喩』と訳されている。
用例
「バッハ」が大好きだ。「バッハ」がバッハの作品を指している。
「そのワインを開けてくれ」実際に開けるのはワインではなく、ワインが入っているボトルの栓である。
象徴喩の用例
ボルドーの赤、ブルゴーニュの白。ここでの「赤」と「白」はワインの種類を指している。
ペンは剣より強し。ここでのペンは弁舌や学問を指し、剣は武力、暴力、戦争などを指している。
提喩法詳細は「提喩」を参照
提喩(ていゆ、シネクドキ《Synecdoche》)とは上位概念で下位概念を表したり、逆に下位概念で上位概念に置き換えたりする比喩をいう。換喩との違いは、包含する関係にあるか否かである。提喩を用いた修辞法を提喩法という。
用例
全く、情けない男だ。ある人物が相手にこう告げた時、情けないのはその相手(下位概念)だけであって、男全般(上位概念)を指しているわけではない。
豚肉も悪くないけど、どちらかといえば鳥の方が好きだな。まず鳥という上位概念で鶏という下位概念を指している。さらに、鶏という上位概念からさらに下位概念の鶏肉、あるいは鶏肉料理を指している。このように提喩は上位、下位の概念が階層化することもある。
紙もすっかり値上がりしたので、本当に困る。会話の状況によって、この紙がトイレットペーパーを指してるのか、それとも何らかの用箋を指しているのかわからないが、紙という上位概念で、下位概念を想起させるものとなっている。
諷喩法詳細は「たとえ話」を参照
諷喩(ふうゆ、英: Parable)とは、寓意(アレゴリー)に使われるようなたとえのみを提示することで,本当の意味を間接的に推察させる比喩を言う[1][2]。寓言法や寓喩法とも呼ぶ。 これらの比喩が複合することもある。たとえば「右のエース」という表現は、エースで一番手を指す暗喩、右で右手で投げる投手を表す換喩を兼ねている。更に、「右のエース」という言葉は、野球のみでしか通用しないので、野球という上位概念の中の下位概念に値することから、この表現そのものが提喩となっている。 擬態法(ぎたいほう)は、表現する事象について、様子を文字として書き表した擬態語や、擬音語・擬声語を用いた修辞法である。「姉はにこにこと笑っていた」という文での「にこにこ」が擬態語に、「犬がワンワンと鳴く」の「ワンワン」が擬声語にあたる。 擬態語(ぎたいご)は「様子」、擬音語(ぎおんご)は「音」、そして、擬声語(ぎせいご)は「動物の鳴き声」などを言語化したものである。写生語、声喩、仏語でオノマトペ (onomatopee)、若しくは英語でオノマトペア (onomatopoeia) ともいう。擬音語(擬声語)を用いることにより、ものごとを生き生きと表現する効果や、また、ものごとに対し読者が親近感を抱く効果など、さまざまな効果が生まれる。扉が風でガタガタと音を立てるといった擬音語、幼児語では、犬の鳴き声の擬声語であるワンワンのように、そのものの発する声を表す擬声語がそのものの名称として用いられる場合もある。擬態語は「動作・様態 尚、日本の国語教育では文法として擬音はカタカナを、擬態は平仮名を使うように教えている[要出典]。 比喩の中でも特に、人でないものを人格化し、人に例える手法を擬人法(ぎじんほう、活喩)という。
用例
「燕雀(えんじゃく)安(いずくん)ぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」小人物に大人物の心はわからない、ということを鳥の話のみをして推察させている。燕雀は小物、鴻鵠は大物という共通認識の上に成立する諷喩。
猿も木から落ちる木登りを得意とする猿でも木から落ちることのみを示し、得意な人でも失敗することがあるという意味を推察させる諷喩。
比喩表現の複合
擬態法
擬態語・擬音語・擬声語詳細は「声喩」を参照
擬人法詳細は「擬人法」を参照