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修正ユリウス暦(しゅうせいユリウスれき、英語: Revised Julian Calendar)は、1923年5月にコンスタンディヌーポリ(コンスタンティノープル)で開かれた公会において、幾つかの正教会の教会に受け入れられたとされる暦である。 公会において新暦(修正ユリウス暦)は、ユリウス暦1923年9月30日(グレゴリオ暦1923年10月13日)の翌日を、修正ユリウス暦の1923年10月14日と定め、グレゴリオ暦と月日を合わせる形式が採られた。1582年のグレゴリオ暦への改暦時に省いた日数が10日間だったのに対して、1923年の改暦時にはそれより3日分多くなっているが、これはグレゴリオ暦では平年となっている1700年・1800年・1900年を、ユリウス暦では閏年としていたためである。また、グレゴリオ暦とは異なる置閏法も導入された。 修正ユリウス暦を受け入れている正教会は、コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、ギリシャ正教会、キプロス正教会 修正ユリウス暦を導入せずユリウス暦を使い続けている教会は、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、グルジア正教会、旧暦派
導入
採用・不採用
公会はさらに、復活大祭についての新しい計算方法についても決定したが、全ての正教会はこの計算方法を受け入れず、復活大祭の日を決定するにあたってはユリウス暦を使い続けている。ただしフィンランド正教会とエストニア使徒正教会のみはグレゴリオ暦を用いて復活大祭を祝い、固定祭日の決定にもグレゴリオ暦を使っている。 修正ユリウス暦における置閏法は、 である。 この置閏法は、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(ユーゴスラヴィア王国)を代表して会議に出席していた天文学者、ミルティン・ミランコビッチ (Milutin Milankovi?) の提案によるものであった。
置閏法
4で割り切れる年を閏年とする。
ただし100で割り切れる年については、更に900で割ったときの余りが200か600である年のみを閏年とし、それ以外は平年とする