「信陽」はこの項目へ転送されています。中華民国海軍の駆逐艦については「初梅 (駆逐艦)」をご覧ください。
中華人民共和国 河南省 信陽市
市街地の鳥瞰市街地の鳥瞰
略称:申
旧称:信陽地区
河南省中の信陽市の位置河南省中の信陽市の位置
簡体字信?
繁体字信陽
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カタカナ転写シンヤン
国家 中華人民共和国
省河南
行政級別地級市
面積
総面積18,819 km²
人口
総人口(2002)780 万人
経済
電話番号
信陽市(しんようし)は、中華人民共和国河南省南東部に位置する地級市。
中国十大銘茶の一つの、信陽毛尖(しんようもうせん)の産地である。 河南省の南東部に位置し、駐馬店市、南陽市、湖北省、安徽省に接する。 西周代、申・息などの諸侯国があったが、楚に滅ぼされた。 2市轄区・8県を管轄下に置く。 信陽市の地図 この節の出典[1]
地理
歴史
行政区画
市轄区:
平橋区・?河区
県:
羅山県・光山県・新県・商城県・固始県・?川県・淮浜県・息県
?河区平橋区羅山県光山県新県商城県固始県?川県淮浜県息県
年表
信陽地区
1949年10月1日 - 中華人民共和国河南省信陽専区が成立。信陽県
1949年11月22日 (2市8県)
信陽県の一部が分立し、信陽市
確山県の一部が分立し、駐馬店市が発足。
1950年5月9日 - 汝南県の一部が分立し、汝南市が発足。(3市8県)
1951年4月26日 (2市9県)
汝南市が汝南県に編入。
汝南県の一部が分立し、平輿県が発足。
1952年6月10日 (9県)
信陽市が信陽県に編入。
駐馬店市が確山県に編入。
1952年12月6日 - ?川専区?川県・光山県・羅山県・固始県・息県・商城県・新県・淮浜県を編入。(17県)
1953年7月9日 (17県2鎮)
信陽県の一部が分立し、信陽鎮
確山県の一部が分立し、駐馬店鎮が発足。
1953年10月21日 - 駐馬店鎮が市制施行し、駐馬店市となる。(1市17県1鎮)
1953年11月10日 - 信陽鎮が市制施行し、信陽市となる。(2市17県)
1955年8月24日 (2市17県)
淮浜県の一部(三河区・欄杆区・趙集区の各一部)が安徽省阜陽専区阜南県に編入。
安徽省阜陽専区阜南県の一部(地城区許寨郷・張寨郷の各一部)が淮浜県に編入。
1956年4月28日 - 湖北省孝感専区応山県の一部が信陽市に編入。(2市17県)
1958年4月4日 - 駐馬店市が確山県に編入。(1市17県)
1960年8月15日 (1市15県)
信陽県が信陽市に編入。
淮浜県が固始県・息県に分割編入。
1961年10月5日 - 信陽市の一部が分立し、信陽県
1962年10月20日 - 息県・固始県の各一部が合併し、淮浜県が発足。(1市17県)
1965年6月16日 - 確山県・汝南県・平輿県・新蔡県・上蔡県・西平県・遂平県・正陽県が駐馬店専区に編入。(1市9県)
1969年3月15日 - 信陽専区が信陽地区に改称。