信濃川
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愛知県の二級河川については「信濃川 (愛知県)」をご覧ください。

「千曲川」はこの項目へ転送されています。楽曲については「千曲川 (五木ひろしの曲)」をご覧ください。

しなの川」とは異なります。

信濃川(千曲川)
冬の信濃川(魚野川との合流点付近、新潟県
水系一級水系 信濃川
種別一級河川
延長367 km
平均流量518 m³/s
(小千谷観測所1942年 - 2002年)
流域面積11,900 km²
水源甲武信ヶ岳
水源の標高2,475 m
河口・合流先日本海
流域 日本
新潟県長野県
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太線.信濃川(千曲川)本川、左岸.(上流より)依田川、奈良井川、犀川(梓川)、高瀬川、裾花川、鳥居川、渋海川、大河津分水、西川、中ノ口川、関屋分水、右岸.(上流より)湯川、松川、中津川、清津川、魚野川、黒又川、破間川、五十嵐川.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}オープンストリートマップに信濃川の地図があります。

信濃川(しなのがわ)は、新潟県および長野県を流れる一級河川。信濃川水系の本流であり、新潟市日本海に注ぐ。このうち信濃川と呼ばれているのは新潟県域で、長野県に遡ると千曲川(ちくまがわ)と呼称が変わる。この項目では千曲川と呼称される上流部を合わせ説明する。

全長367キロメートル (km)のうち、信濃川と呼ばれている部分が153 kmで、千曲川と呼ばれている部分は214 kmと、60 kmほど千曲川の方が長い。ただし、河川法上は千曲川を含めた信濃川水系の本流を信濃川と規定しているため、信濃川は日本で一番長い川となっている。日本三大河川のうちの1つである。

流域面積11,900 km2は日本で第3位[1]、新潟と長野の2県でほとんどを占めるが、信濃川水系の一次支川(いちじしせん)である中津川の源流部が群馬県野反湖付近にあるため、信濃川水系の流域は群馬を含む3県に及ぶ。

なお、洪水時の分水路(大河津分水)がある大河津分水分派点より下流を信濃川下流と称している[2]
名称

古くは「大きな川」として「大川」(おおかわ)と呼ばれていたが、のちに下流部では信濃国から流れてくる川として、信濃川と呼ばれるようになった[3]長野県千曲市の大正橋そばの千曲川河川名標識。

長野県内の名称である千曲川の名前の由来については諸説がある[3][4]

字の通り、川が千の数ほど曲がっている様子から名付けられた。

豊田村から下流の千曲川は狭窄部が連続し、両岸は崖状の地形を呈していることから、「チク(崖)・マ(袋状の湿地)の川」という説がある。

水源地域である長野県川上村の伝説によれば、大昔に高天原に住む神々の間で大きな戦いがあり、この時に流された血潮によってできた川とされており、その血潮があたり一面隈なく流れた様子から「血隈川」と言うようになったという伝説もある。

なお、千曲川の支流である犀川は長野県西部の筑摩(ちくま)地方を流れているが、筑摩は古くは「つかま」と呼ばれたため、直接の関係はないと見られる。

千曲川は『万葉集』の頃から多くの詩歌に歌われ、近代になっても流域の佐久市小諸市周辺を島崎藤村(『千曲川旅情のうた』『小諸なる古城のほとり』)が、長野市周辺から新潟県境付近の豊田村(現・中野市)周辺を高野辰之(『朧月夜』『故郷』)が歌にしている。

千曲川のことを東信では「ちゅうま」または「ちうま」、北信では「ちょうま」、栄村と新潟県津南町では「ちぐま」と呼ぶことがある[5]。方言学者の馬瀬良雄は、『万葉集』の東歌に「知具麻能河泊(ちぐまのかは)」や「中麻奈尓 宇伎乎流布祢能(ちうまなに うきをるふねの)」という表記があることから、信濃の言葉としては「ちぐま」が最も古く、「ちぐま→ちうま→ちゅーま→ちょーま」と変化したと推定している[5]。なお、上記の東歌(3401番歌)にある「奈(な)」については、都竹通年雄は「今のアイヌ語で川を『ナイ』というから『チグマナ』の『ナ』はアイヌ語の川という意味の語根が残ったものである」とする[6]。それを踏まえて、アイヌ研究家の木村圭一[7]は、「千曲」の語源としてアイヌ語の「chuk-oma」(鮭のいる処)としている。
地理新潟県十日町市を流れる信濃川。周辺には河岸段丘が形成されている。

千曲川は埼玉県山梨県・長野県の県境に位置する甲武信ヶ岳の長野県側斜面(南佐久郡川上村)を源流とし、八ヶ岳関東山地などを源流とする諸河川と合流しつつ佐久盆地(佐久平)、上田盆地(上田平)を北流する。長野盆地(善光寺平)の川中島の北端に該当する場所で、飛騨山脈を源流とし松本盆地(松本平)から北流してきた犀川と合流する。

なお合流地点には落合橋(おちあいばし)が架橋されている。この橋はT字型の特殊な形態の橋である。その後、川は北東に流れ、新潟県に入って信濃川と名前を変える。

信濃川は、十日町盆地を通った後、群馬・新潟県境の谷川岳から流れてきた魚野川と合流し、越後平野(新潟平野)に出て、新潟市日本海に注ぐ。河口阿賀野川の河口に近く、時代によっては新潟の地で合流して河口を共有していたこともあった。
地学的知見

源流域の川上村から上田市にかけては千曲川構造線に沿うようにして北西に流下し、千曲市付近で北東方向に約90度方向を変え、長野市からは信濃川断層帯を北東に延長した断層帯域の地質的に弱い所を浸食し流下し、日本海へと向かう。河床勾配の変化を見ると、上流部の佐久地域で 7.3 パーミル(‰)、上田地域で、5.5 ‰である。しかし、長野市周辺では、0.93 ‰となるが、西大滝ダム付近を変化点としては再び河床勾配は急になり、長野新潟県境付近から下流の十日町付近までは、3.5 ‰の勾配となる[8]

こうした勾配の変化をもたらしている原因は第四紀後期完新世隆起活動と隆起に伴い形成された断層による物である。隆起としては中野市から飯山市付近の高丘丘陵などが影響を与えて、断層としては立ヶ花付近には長野盆地西縁断層の一つである長丘断層が河を横切っている、また西大滝ダム付近には重地原断層、北竜湖断層があり、長野新潟県境付近には津南断層がある。

信濃川源流域の一つ、飛騨山脈日本屈指の標高奥穂高岳(3,190m)、槍ヶ岳(3,180m)を水源に持つ。


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