信楽高原鐵道列車衝突事故(しがらきこうげんてつどうれっしゃしょうとつじこ、信楽高原鉄道事故[報道 1]、信楽列車事故とも[注 1])は、1991年(平成3年)5月14日、滋賀県を走る信楽高原鐵道信楽線において発生した列車衝突事故。信楽高原鐵道の車両と、直通運転で乗り入れていた西日本旅客鉄道(JR西日本)の車両が正面衝突して42名が死亡し[報道 2]、614名が負傷した。 1991年5月14日10時35分頃、滋賀県甲賀郡信楽町(現・甲賀市信楽町)黄瀬の信楽線小野谷信号場 - 紫香楽宮跡駅間で、信楽発貴生川行きの上り普通列車(SKR200形4両編成)と、JR西日本が運行していた京都発信楽行き下り臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」(キハ58系3両編成)が正面衝突した。先頭車のキハ58形は前部が押し潰された上に全長のほぼ1/3が上方へ折れ曲がり、SKR200形は先頭車が2両目とキハ58形とに挟まれる形で原形を留めないほどに押し潰された。JR西日本側乗客の30名、信楽高原鐵道側乗員乗客の12名(うち運転士と添乗の社員が4名)のあわせて計42名が死亡、直通下り列車の運転士を含む614名が重軽傷を負う大惨事となった[1][2][3]。衝突した臨時快速列車は乗客で超満員の状態(定員の約2.8倍)だったことから[注 2]、人的被害が非常に大きくなった。 沿線の信楽町は信楽焼の産地で、当時は「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」が4月20日から開催されており[4]、信楽高原鐵道は線路容量をはるかに超える来場者輸送(ピーク時約2万人/日)に追われていた。陶芸をアピールするエキジビション、シンポジウム、イベントで構成されていた世界陶芸祭は好評を博し、主催者の予想した来場者35万人に対して、これをはるかに上回る客を集め、ゴールデンウィーク明けの5月11日には入場者50万人を達成していた(最終的には60万人[4])[5]。 「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」の開催にあたって実行委員会は会期37日間の想定来場者数35万人のうち、25%にあたる約9万人を鉄道輸送で賄おうとした。期間中の想定ピーク輸送人員約9千人/日に対して信楽高原鐵道の輸送力が不足(会期前の乗客は平均して2千人/日足らず)していたことから[注 3]、実行委員会は1990年3月に滋賀県知事名で、信楽高原鐵道・JR西日本の両社に協力を要請した[6]。これを受け信楽高原鐵道は旧来の設備を約2億円かけて大改修し、路線の中間部に当たる箇所に小野谷信号場を設け、運行本数をほぼ倍増する工事を実施した[7][8]。
事故概要
背景