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信受院(しんじゅいん、宝永3年9月29日(1706年11月4日) - 宝暦7年11月15日(1757年12月25日))は、九条幸教の正室。尾張藩主・徳川吉通の長女。名は千姫(せんひめ)。
宝永3年(1706年)、江戸で生まれた。母は側室・さん。享保5年(1721年)12月21日、叔父徳川継友の養女となり、幸教と縁組した。享保8年(1723年)9月23日に上京し、27日に婚礼を挙げた。享保10年(1725年)に長男・九条稙基を、享保12年(1727年)に次男・二条宗基を出産した。宝暦7年(1757年)、京都で死去。享年52。東福寺に葬られた。 綱誠の血筋を現在にまで伝えているのは、信受院の血筋のみであり、第126代天皇徳仁[注釈 1]や多くの大名家や公家、旧皇族などにも繋がる。 この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年10月)
血筋
江戸幕府3代将軍徳川家光の玄孫に当たる。徳川家光?霊仙院?徳川綱誠?吉通?三千君
備考
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 三千君?二条宗基?治孝?九条尚忠?道孝?節子(大正天皇皇后)?昭和天皇?上皇明仁?天皇徳仁
出典
参考文献
徳川諸家系譜 第二