ほうやし
保谷市
東伏見稲荷神社
保谷市旗保谷市章
保谷市旗 保谷市章
1967年3月制定
廃止日2001年1月21日
廃止理由新設合併
保谷市、田無市 → 西東京市
現在の自治体西東京市
廃止時点のデータ
国 日本
地方関東地方
都道府県東京都
市町村コード13217-9
面積9.05km2.
総人口101,962人
(住民基本台帳[1]、2001年1月21日)
隣接自治体練馬区、田無市、武蔵野市、東久留米市、埼玉県新座市
市の木ケヤキ
市の花サザンカ
他のシンボル-
保谷市役所
所在地〒202-8555
東京都保谷市中町一丁目5番1号
外部リンクhttps://web.archive.org/web/20000229133116/http://www.tanasi-hoya.co.jp/hoya/index.html
東京都特別区部への通勤率は51.1%(平成12年国勢調査)。2001年(平成13年)1月21日に田無市と合併し、西東京市の一部となった。 江戸時代の文献には「穂屋」または「穂谷」の地名が用いられていた。「穂」の文字が使われていたことから、周辺に比べ水利が良く、植生が豊かな土地であることが地名の由来であると考えられている。 その後17世紀後半の元禄時代には、公文書に現在の保谷の文字が記されており、幕府に提出する書類に間違えて保谷を使い、以後この字になったとあり、現在の地名はこの頃に確定したと思われる。 西東京市の成立後その名は、駅名の保谷駅と町名(保谷町および下保谷)、創業の地があった光学機器・ガラスメーカーの社名「HOYA」として残っている。 また東京都国立市にある谷保地区では一時期作物の凶作が続いたことがあり、同地に住んでいた住民がその辺りへと移り住み故郷の保谷を忘れないということで逆にしてつけられたという伝承もある。 2007年現在の東京都西東京市ひばりが丘(田無市ひばりが丘団地であった三丁目2番を除く。)、ひばりが丘北、住吉町、栄町、北町、下保谷、東町、中町、泉町、保谷町、富士町、東伏見、柳沢、新町に相当する。 他の多摩地域と同様に江戸時代ごろより江戸への農産物の供給地として発展し、特に玉川上水からの分水である千川上水の開通を受け新田開発も行われた。大正時代に池袋と所沢を結ぶ武蔵野鉄道(現在の西武鉄道池袋線)が開通し、保谷駅・ひばりヶ丘駅(当時は田無町駅)が開業した。その後は鉄道により東京(市内)の糞尿を肥料とするため運び入れ、収穫した作物(野菜が中心)を出荷する近郊農業が中心となる。太平洋戦争後は都心に近いことから住宅(特に団地)開発が進み、(都営の柳沢、公団の東伏見、ひばりが丘)東京のベッドタウンとして発展する。
地名の由来
地理
隣接していた自治体
東京都
練馬区
田無市
武蔵野市
東久留米市
埼玉県
新座市
歴史
1868年(明治元年) - 武蔵国新倉郡広沢庄野方領から品川県となる。
1872年(明治5年) - 入間県に移る。
1873年(明治6年) - 熊谷県に移る。
1876年(明治9年) - 埼玉県に移る。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、埼玉県新座郡上保谷村・下保谷村・上保谷新田の区域を以て保谷村が成立。
1896年(明治29年)3月29日 - 新座郡が北足立郡へ編入され、同郡の所属となる。
1907年(明治40年)4月1日 - 埼玉県北足立郡より東京府北多摩郡に移る[2]。
1940年(昭和15年) - 町制施行して保谷町となる。
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行にともない、東京都の所属となる。
1967年(昭和42年)1月1日 - 市制施行して保谷市となる。東京で17番目(田無市・国立市と同日)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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