保安庁
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、1952年から54年にかけて日本に存在した準軍事組織について説明しています。1948年に創設されて上の安全治安などを扱っている機関については「海上保安庁」を、その他の保安庁については「保安庁 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

日本行政機関保安庁


役職
保安庁長官木村篤太郎
保安庁次長増原惠吉
組織
上部組織総理府
内部部局長官官房、保安局、人事局、経理局、装備局、第一幕僚監部第二幕僚監部
附属機関保安研修所保安大学校技術研究所
部隊等保安隊警備隊
概要
所在地東京都江東区越中島駐屯地
設置1952年(昭和27年)8月1日
廃止1954年(昭和29年)6月30日
(防衛庁に改編)
テンプレートを表示

保安庁(ほあんちょう、英語: National Safety Agency)は、かつて存在した日本の行政機関1952年昭和27年)8月1日から1954年(昭和29年)6月30日まで置かれ、警察予備隊海上警備隊などを統括するために創設された。防衛庁(現在の防衛省)の前身。

日本平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護するため、保安隊及び警備隊を管理・運営し、及びこれに関する事務を行い、あわせて海上における警備救難の事務を行うことを任務とした。
創設に至る経緯

連合国軍占領下の日本では、治安部隊として総理府警察予備隊[1]、また海上保安庁にも在来の勢力とは一線を画して非常時に備えるための海上警備隊を設置した[2]。その後、1951年9月8日に平和条約とともに調印された日米安保条約において、日本の主権の回復にあわせて、自国の防衛についても漸増的に自ら責任を負うこととされた[3]

平和条約の調印に向けて1951年1月25日に行われた吉田ダレス会談において、防衛努力の強化を求めるアメリカ側に対し、日本側は、警察予備隊と海上警備隊を充実増強するとともにこれらを統括する治安省(仮称)を新設する案を提示していた[3]。その後、1952年4月28日の平和条約の発効を受けて、警察予備隊と海上警備隊を統合して一体的運営を図るため、総理府外局として設置されることになったのが保安庁であった[4]

1952年5月10日、保安庁法案は第13回国会に提出された[5]。しかし保安庁として組織を整えることでこれが防衛組織としての性格を帯びるのではないか、国内法秩序の問題としての警察行動と国際法秩序の問題としての軍事行動との区別が適切かどうかなど、多くの点で疑義が呈された[6]。また保安庁の創設に伴って海上保安庁も解体して、航路啓開所は海上警備隊と統合、警備救難部は保安庁の附属機関としての海上公安局に改編して、残りの部門は運輸省に吸収合併させることになっていたが、これも海上保安機能の弱体化を招くことが懸念されて、論議の的となった[7]

結局、運輸委員会からの申し入れを受けて、海上公安局法案についてはその施行を延期するように修正した上で、7月24日、内閣委員会において保安庁法案および海上公安局法案は賛成者多数で議決され、7月31日には参議院本会議において可決成立した[8]。同法の施行を受けて、翌8月1日、保安庁の内部部局と、海上警備隊から改編された警備隊が発足した[4]。一方、警察予備隊も保安隊として改編されることになってはいたものの、警察予備隊の一般隊員の任用期間が10月14日まであったことから、それまでは警察予備隊として存続し、10月15日に至って初めて発足することになった[4]

発足当初、保安庁長官は吉田首相が兼任しており[注 1]、8月4日には越中島駐屯地の本部に長官として初登庁して、幹部職員に対して訓示を行った[4]。この訓示において、吉田首相は「再軍備を行うとすれば、国を守ろうという盛り上がる国民の覚悟がなければならない」と前置きしたうえで、保安庁について「新国軍の土台たれ」と発言して、英米型の軍隊育成に向けた決意を表明した[9][10][11]。その後、10月30日の第4次吉田内閣の成立とともに、木村篤太郎が初代保安庁長官として就任した[4]
組織構成

保安庁は総理府の外局として内閣総理大臣の指揮監督下に置かれた[4]。また国務大臣(文民)としての長官を置くことで文民統制の強化が図られた[10]

当初の保安庁法によると、保安庁の職員(海上公安局に勤務する職員を除く。)の定員(2月以内の期間を定めて雇用される者、休職者及び非常勤の者を除く。)は、11万9947人とし、うち11万人を保安官、7590人を警備官(後の海上自衛官)とされた。
内部部局

保安庁において、陸上および海上においてそれぞれ行動する保安隊および警備隊を統合運営するにあたり、その幕僚組織をどうするかが問題になった[10]増原惠吉警察予備隊本部長官野田卯一建設大臣(行政機構改革問題担当)は陸海一本化を主張する一方、大橋武夫警察予備隊担当国務大臣は、旧海軍軍人の主張を反映して、上部機関は一本化するにしても、幕僚組織は陸海に分けないといざという時に有効な部隊指揮が困難であると主張した[10]

結局は陸海で分離されることになり、長官を補佐するにあたり、保安隊(陸)を担当する第一幕僚監部と、警備隊(海)を担当する第二幕僚監部が設置された[10]。初代の第一幕僚長林敬三保安監、第二幕僚長山崎小五郎警備監が発令された[4][10]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef