保安官
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、アメリカ合衆国の治安職について説明しています。その他の保安官については「保安官 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}ニューメキシコ州カトロン郡モゴヨンの保安官補 (1940年1月)現代の保安官の一例。ロサンゼルス郡保安局本部長。胸には保安官バッジ、シャツの襟の階級章は局長を示す五連星。局長に限り、バッジは「DEPUTY」の追加がなくそのまま「SHERIFF」となる。大規模な保安官事務所ではSWAT部隊も設置されている(写真はマリオン郡保安官事務所)

保安官(ほあんかん)は、アメリカ合衆国公安職。その所掌範囲は設置者によって異なるが、裁判所の警備、刑務所の警備、被疑者・収監者等の移送、民事執行、陪審員に対する召喚状送達ほかの行政上・司法上の事務も行う。ここでは一般的にアメリカ英語のシェリフ(sheriff)の訳語として保安官について記載するが、マーシャル(marshal)やコンスタブル(constable)も同様の役割を負うこともあり[1]、それらについても触れる。
来歴「アメリカ合衆国の警察#来歴」も参照

アメリカ合衆国の植民地時代の警察機構は、イギリスによるアメリカ大陸の植民地化に伴って本国から持ち込まれたものが基本的に踏襲されていた。その原型となったイギリスの代表的な公安職は下記のようなものであった[2]
シェリフ (Sheriff) 
国王からシャイア(州。現在のカウンティの前身)ごとに派遣された代官。当初は「シェアリーブ」(Shire Reeve、州代官)と称されていたが、後に訛って「シェリフ」となった[1]
マーシャル (Marshal) 
裁判所の運営にあたる廷吏。法廷内の秩序維持や令状の執行、囚人の護送などにあたっていた[3]
コンスタブル (Constable) 
最初期は隣保組織の長(十人組長)がこう称されていたが、後に1年任期制・無給で地域住民から選ばれる法執行官を指すようになった[2]

イギリスでは、地域の秩序・平和を維持する責任は地域住民各々が負うべきであるという自治の意識が強く、家族や地域住民による隣保制の時代が長かった。北アメリカの植民地でもこの理念は踏襲され、またアメリカ大陸の地理的条件などもあって、まずは隣保制や、その延長として地域住民に依拠した公安職が主となった。また人が集まって町を形成した場所では法廷も開廷し、これに伴ってマーシャルも任命された[3]。その後植民が進むと、各植民地政府は植民地内を郡(カウンティ)に分割し、それぞれに代官としてシェリフを配した。このシェリフが、後の郡保安官の原型となる役職である[1]

これらの制度は、アメリカ合衆国の独立後もそのまま引き継がれ、また独立後の1789年には、連邦政府も自らの法執行官として、独立十三州に1人ずつのマーシャル(連邦保安官)を配置した。しかし独立十三州を始めとする東部諸州ではこのような制度が整備されていた一方で、西部開拓時代フロンティアでは管轄人口が少ないこともあって統治機構自体が小規模で、1人で多役を兼任することも多く、シェリフやマーシャル、コンスタブルの区別も曖昧になっていた。また特に開拓の最前線は実質的に無政府状態となっており、犯罪率も高かったのみならず、西部開拓はアメリカ先住民族の生存圏への侵略でもあったことから、彼らとの武力衝突も頻発していた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef