保塚町
町丁
足立区保塚センター
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度47分12秒 東経139度48分46秒 / 北緯35.786722度 東経139.812764度 / 35.786722; 139.812764
国 日本
都道府県 東京
特別区 足立区
人口情報(2024年(令和6年)4月1日現在[1])
人口3,556 人
世帯数1,814 世帯
面積([2])
0.213185233 km²
人口密度16680.33 人/km²
設置日1963年(昭和38年)9月1日
郵便番号121-0072[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート足立
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保塚町(ほづかちょう)は、東京都足立区の町名。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示実施済区域。 東京都足立区中部に位置する。隣接する地区は、北は東保木間、東は六町、南は一ツ家、西は平野および東六月町。町域内に教育機関は存在しない。以前は町域の東にある「子供の広場」が住民の多目的広場として機能していたが「子供の広場」も宅地化され、現在は保塚公園がその役割を果たしている。つくばエクスプレス線の開業までは鉄道空白地帯であった町域内には大型高層マンションなどは存在しないが、代わりに倉庫・物流センター・駐車場などが多く立地している。 住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、保塚町5-12の地点で30万6000円/m2となっている[5]。 保塚町は保木間村の一部と竹塚村の飛び地の一部からなる両村の辺境的存在であった。第二次世界大戦前は純農村であり、人家が進出するのは1950年代からのことである。1960年代の土地整備を契機に農家の農業離れが進み、現在では一部を除きほとんどが宅地化された。 1963年(昭和38年)9月1日に、それまでの農道整備に連動して当地で行われていた土地区画整理事業が完了した際に、新しく誕生した土地区画整理地区に新しい町名を付けることになった。そこで、土地区画整理地区の従来の町名である保木間町と竹塚町から一文字ずつ取り、保塚町とした。1978年(昭和53年)に町名は保塚町のままで住居表示が実施されている。
地理
地価
歴史
地名の由来
沿革
1868年(明治元年) - 武蔵国足立郡保木間村および竹塚村となる。
1869年(明治2年) - 小菅県保木間村および竹塚村となる。
1872年(明治5年) - 大区小区制施行。東京府第五大区
1873年(明治11年) - 東京府南足立郡竹塚村および保木間村となる。
1889年(明治22年)5月1日 - 六月村・竹塚村・保木間村・伊興村の4箇村を統合し、渕江村発足。東京府南足立郡渕江村大字保木間字野耕地。
1932年(昭和7年)10月1日 - 東京市編入。東京市足立区保木間町および竹塚町となる。
1943年(昭和18年) - 東京都制施行。東京都足立区保木間町および竹塚町となる。
1963年(昭和38年)9月1日 - 土地区画整理事業により、保塚町が成立。東京都足立区保塚町となる。
1978年(昭和53年)2月1日 - 保塚町として住居表示実施。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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