保土ケ谷駅
[Wikipedia|▼Menu]

保土ケ谷駅[* 1]
西口(2011年8月)
ほどがや
Hodogaya

◄JO 13・JS 13 横浜 (3.0 km) (4.9 km) 東戸塚 JO 11・JS 11►

所在地横浜市保土ケ谷区岩井町1-7.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度26分48.2秒 東経139度35分58.6秒 / 北緯35.446722度 東経139.599611度 / 35.446722; 139.599611座標: 北緯35度26分48.2秒 東経139度35分58.6秒 / 北緯35.446722度 東経139.599611度 / 35.446722; 139.599611
駅番号JO12
JS12
所属事業者東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線■横須賀線
■■湘南新宿ライン宇都宮線直通)[* 2]
(いずれも線路名称上は東海道本線
キロ程31.8 km(東京起点)
東京から品鶴線経由で34.7 km
電報略号ホト
駅構造地上駅橋上駅
ホーム1面2線
乗車人員
-統計年度-27,634人/日(降車客含まず)
-2022年-
開業年月日1887年明治20年)7月11日
備考

業務委託駅

横浜市内

^ 1931年に程ヶ谷駅から改称。
^ 高崎線 - 東海道線系統は通過。

テンプレートを表示

程ヶ谷駅
ほどがや
Hodogaya

所属事業者鉄道省(国鉄)
開業年月日

初代横浜への線:1887年明治20年)7月11日

高島への貨物線:1915年大正4年)12月30日

廃止年月日

初代横浜への線:1915年(大正4年)8月15日

高島への貨物線:1929年昭和4年)9月16日

乗入路線
所属路線東海道本線
キロ程4.16 km(横浜(初代)起点)
横浜(初代) (4.16 km)
所属路線東海道本線貨物支線
キロ程3.36 km(高島起点)
高島 (3.36 km)
テンプレートを表示

保土ヶ谷駅
ほどがや
Hodogaya

(1.0 km) 西横浜
所属事業者相模鉄道(相鉄)
所属路線貨物支線
キロ程0.0 km(保土ヶ谷起点)
開業年月日1948年昭和23年)9月13日
廃止年月日1979年(昭和54年)10月6日
テンプレートを表示
東口(2011年8月)

保土ケ谷駅(ほどがやえき)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区岩井町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)のである。
乗り入れ路線

乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線のみであるが、当駅には横須賀線専用線路上にのみ旅客ホームがあり、同線路を走行する横須賀線電車および湘南新宿ライン宇都宮線 - 横須賀線直通列車のみが停車し、東海道線列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない。湘南新宿ラインの東海道線 - 高崎線系統は全列車が快速運転のため通過する[注釈 1]

また当駅には、各路線ごとに駅番号が与えられている。

横須賀線:東海道本線(品鶴線経由)を経て、下り列車は大船駅より線路名称上の横須賀線を走る。上り列車は多くの列車が東京駅を経由し、総武快速線へ直通する。 - 駅番号「JO 12」

湘南新宿ライン:東海道本線(品鶴線経由)を経て、西大井駅まで横須賀線と同一の線路を使用し、新宿駅経由で宇都宮線へ直通する。 - 駅番号「JS 12」

また、JRの特定都区市内制度における「横浜市内」に属する。
歴史

1887年(明治20年)7月11日に東海道本線横浜 - 国府津間開通に合わせて、程ヶ谷駅として開業した。この時点では、横浜駅は現在の桜木町駅の位置にあり、東海道本線は初代横浜駅でスイッチバックをして程ヶ谷に至っていた[1]。開業当初は西欧風のモダンな駅舎が建てられていたが、西口だけであった[2]

この折り返しは輸送上の大きな障害となっていたこともあり、その後日清戦争が勃発して輸送量が増加した折に、陸軍省の依頼で神奈川駅と当駅の間を短絡する路線が1894年(明治27年)9月下旬に開通した[3][4]。この路線は当初暫定のはずであったが、日清戦争が終わり東海道本線の複線化が進展すると、こちらの路線を本線とする計画が生まれた。横浜の商人などは、横浜駅が支線上になって列車本数が減少してしまうことへの懸念からこの計画に反対したが、結局1898年(明治31年)8月1日に短絡線の方が本線となり、こちら経由で神奈川 - 大船間の複線化が実施された。横浜の市民の利便性を考えて、この短絡線上に平沼駅が1901年(明治34年)10月10日に設置されたが、平沼駅周辺は未開で横浜市街地と結ぶ交通も未整備だったことから利用は少なかった[3][5]

その後、東海道本線のすべての列車が横浜駅を経由できるように改良することになり、1915年(大正4年)8月15日に高島町交差点付近に2代目の横浜駅が開設された。これと同時に初代の横浜駅は桜木町駅に改称した。東海道本線は、神奈川駅から南へ向かって2代目横浜駅を経由し、石崎川に沿って当駅に至る弓なりの経路を通るようになり、同時に桜木町駅と当駅を結ぶ路線、神奈川駅と当駅を結ぶ短絡線は廃止となった[6][7]。また2代目横浜駅の東側に貨物駅として設置された高島駅と当駅を結ぶ複線の貨物線が1915年(大正4年)12月30日に開通した。その後1917年(大正6年)6月17日に鶴見駅と高島駅を結ぶ貨物線、通称高島線が開通したことで鶴見から当駅までの貨物線がつながり、旅客と貨物が別線路を走行するようになった[8][9][10]。またこの年に西口駅舎が改築されている[2]

しかし1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により2代目横浜駅は焼失した。その後の横浜の鉄道網再建計画にあたって、東海道本線を再び直線化する方向でまとまり、現在の位置に3代目の横浜駅が建設された。これにより、一度廃止された神奈川 - 程ヶ谷間の短絡線が再び本線となることになった[11]。3代目横浜駅に着工する前の1925年(大正14年)12月13日に東海道本線東京 - 国府津間が電化され、当駅を通る列車も多くが電気機関車の牽引に移行した[12]。1928年(昭和3年)10月15日に3代目横浜駅が開業し、2代目横浜駅を経由する弓なりの経路は廃止されて短絡線が再開通した[13]。またその後貨物線の再編も行われ、1929年(昭和4年)8月21日に品川 - 鶴見間の通称品鶴線が開通して新鶴見操車場が開業し、また鶴見から程ヶ谷まで本線に沿った貨物線が開通して、程ヶ谷から平塚まで前年の3月31日までに順次開通していた貨物線と合わせて品川 - 平塚間の客貨分離が完成した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:77 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef