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やノートページでの議論にご協力ください。俗信(ぞくしん)とは、社会において広く流布され伝承されてきた、ものごとの捉え方や考え方、また考えられた内容を言う。なぜ、そのような把握や考えが妥当かということについては、「昔からそう言われている」というような歴史的な継承性や、社会的な流布性の事実を根拠にする。
俗信は迷信と異なり、必ずしも間違った考えではないが、なぜ正しいのかという根拠が、伝承や社会での流布に依拠しているため、しばしば誤謬や空想や錯覚であることがある。しかし、俗信のなかにも、科学的な事実が明確でなかった時代の経験を通じた智慧が含まれることもある。 「俗信」という熟語は、『大漢和辞典』(諸橋轍次)に記載が無く、中国では使用が確認できず、鈴木棠三は、「俗間信仰」などの縮約であり、近代の造語と見る[1]。「民間」信仰ではなく、「俗間」なのは、江戸時代に「俗神道」などの語があることから、俗信という語感が受け入れられたのではないかとし[1]、少なくとも大正2年(1913年)に創刊された雑誌『郷土研究』に掲載された南方熊楠の「紀州俗伝」に倣ったものと見られ、この中に今でいう俗信の意も含まれているとされる[2]。同誌の第一巻十号に掲載された「俗信雑記」が俗信という語の最初見とされる[3]。同稿筆者の桜井秀は風俗史研究家で民俗学者ではなかった[3]。従って、俗信という表記使用例の最初は民俗学論ではなかった。 俗信は、「通俗信仰」または「通俗信念」の略だと解せられるが、幾つかのタイプがあるとも言える。 「何をしてはならない」「何をするべきである」「何をするのがよい」など、人々の行動のありように対し指針や規範を与える俗信がある。このような俗信には、古い時代は社会生活において合理的な背景があったが、時代や場所の変化によって、意味が不明となったものなどがある。 例えば、現在はほとんど廃れたが、半世紀ほど前には広く流布していた俗信に、「食い合わせ」というものがあった。これは特定の食品を同時に食べると、有害であるという考えである。例えば、「スイカと天ぷら」、「ウナギと梅干し」、「トウモロコシと氷水」などがある。 これらの食い合わせは、過去においては、何かの合理的な理由があったと想定できるものがあり、また「トウモロコシと氷水」のように、現在考えても、消化に良くないものなどもある。しかし、多くの食い合わせは、なぜそれが身体に悪いのか、根拠が不明である。 「占い」は呪術に属するが、なぜ占いの結果が有効なのか、合理的に根拠が不明なものが多い。しかし、「易占」や「タロット占い」などは、占う当人が対象事象について知識を持っている場合は、普段のものごとの把握とは違う視点から事象を判断するという作業が要請され、意識的には思いつかなかったような出来事のありようを判断できることがあるという点からは、合理性がある。 「縁起が良い」「縁起が悪い」というのも、色々な場面で使われるが、なぜ縁起が良いのか、なぜ縁起が悪いのか、合理的根拠が不明なものが色々とある。
俗信という語の形成
俗信のタイプ
短い句の形の俗信
ごはんに箸を立ててはならない
畳のへりを踏んではならない
みみずに小便をかけてはならない
夜、口笛を吹いてはならない(災いが起こる)
三人で一緒に写真を撮ってはならない(真ん中の人に災いが起こる)
夜に爪を切ると、親の死に目に会えない
くしゃみをするとき、他人が噂をしている
食事をしたあとすぐ横になると牛になる
蛇の抜け殻を箪笥にしまっておくとお金が増える
茶柱が立つのは縁起が良い
カラスがなくと死者が出る
雨蛙がなくと雨になる
猫が顔を洗うと雨になる
夕焼けがあると明日は晴れである
行動の規範
占い・縁起・語呂合わせ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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