「山陽高等学校」あるいは「おかやま山陽高等学校」とは異なります。
作陽学園高等学校
作陽学園高等学校(さくようがくえんこうとうがっこう、英語: Sakuyo Gakuen High School)は、岡山県倉敷市にある私立高等学校。かつては、岡山県津山市に設けられていた。
概要
沿革2023年3月までの校舎(津山市八出1320番地)
主な出典:公式サイトより[2] 出典:2023年度生徒募集要項[8] 出典:[9] サッカー部は全国大会の常連であり、Jリーガーを多数輩出している。2002年の全国高校サッカー選手権岡山県予選決勝では延長戦で作陽の青山敏弘が決めた明らかなVゴールを青木隆主審が認めず、結果PK戦で敗退するという誤審事件があった(詳細は第81回全国高等学校サッカー選手権大会#岡山県予選決勝を参照)。第85回大会では大会得点王となるFW小室俊之らを擁し岡山県勢初の決勝進出を果たした。女子チームは「作陽レディース」として岡山湯郷Belleの下部組織にもなっている。 2008年に女子ゴルフ部が第29回全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝した[10]。
1930年(昭和05年)4月 - 津山市南新座において津山女子高等技芸学院として開校。
1931年(昭和06年)4月 - 津山女子技芸学校と改称。
1934年(昭和09年)5月 - 津山市南町(当時大谷)に校舎移転、5月2日を創立記念日に制定。
1936年(昭和11年)3月 - 甲種実業学校に昇格、津山女子高等技芸学校と改称。
1944年(昭和19年)4月 - 教育臨時措置法により教育課程を改編、岡山県作陽女子商業学校と改称。
1946年(昭和21年)3月 - 財団法人作陽学園設立認可。
1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、新制の岡山県作陽中学校を併設(1951年〈昭和26年〉生徒募集中止[3])。
1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、岡山県作陽女子商業学校を廃し、岡山県作陽女子高等学校となる。
1950年(昭和25年)12月 - 学校法人作陽学園に組織変更認可。
1951年(昭和26年)4月 - 室戸台風以降再三の水害に伴う吉井川河川改修のため、津山市八出(当時桃山)に校舎を移転(1947年〈昭和22年〉に建設工事開始、1953年〈昭和28年〉移転完了)[4]。
1962年(昭和37年)4月 - 普通科に音楽コースを設置。
1963年(昭和38年)4月 - 男女共学となり岡山県作陽高等学校と改称。
1974年(昭和49年)4月 - 普通科に特別進学クラスを設置。
1995年(平成07年)4月 - 普通科に情報・秘書コースを設置。
2002年(平成14年)4月 - 普通科にスーパー特進コース、特別進学コース、進学・資格プロコース、保育・福祉コース、吹奏楽コース、音楽デザインコース、体育コース、大地コースを設置。
2015年(平成27年)4月 - 普通科5コース10系を6コース9系に改編。
2023年(令和05年)4月 - 倉敷市玉島八島に移転[5]。校名を作陽学園高等学校と改称[6][7]。
設置学科
普通科
Proud コース
スーパー特進 / Leader クラス
スーパー特進 / 岡大・難関私大クラス
Progress コース
進学 / アドバンスクラス
進学 / スタンダードクラス
Professional コース
スポーツ & ミュージック クラス
かつてあった学科内コース
普通科
スーパー特進コース
特別進学コース
進学コース
総合教養コース(IT情報・フードデザイン・こども保育の3系)
スポーツコース(柔道・硬式野球・ゴルフの3系)
ミュージックコース(音楽デザイン・吹奏楽・演奏芸術の3系)
クラブ活動
学校関係者
池田浩子 - 元サッカー選手・サッカー指導者(女子サッカー部監督)
酒井貴政 - 元サッカー選手(作陽サッカー部)・サッカー指導者(サッカー部監督)
野村雅之 - 校長・サッカー指導者(サッカー部総監督)
著名な卒業生
サッカー
青山敏弘 - サッカー選手(サンフレッチェ広島、日本代表)
秋田英義 - 元サッカー選手
池松秀明 - サッカー選手
伊藤涼太郎 - サッカー選手
加戸由佳 - サッカー選手
河津良一 - 元サッカー選手
河面旺成 - サッカー選手(名古屋グランパス)
木下淑晶 - 元サッカー選手
櫻内渚 - サッカー選手(FC今治)
茂本志穂 - サッカー選手
高松健太郎 - サッカー選手
田中秀哉 - 元サッカー選手
中川理恵 - 元サッカー選手
永松達郎 - サッカー選手(BFCダウガフピルス)
奈良林寛紀 - 元サッカー選手
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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