作新学院高等学校
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作新学院高等学校

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度34分5.5秒 東経139度51分35.4秒 / 北緯36.568194度 東経139.859833度 / 36.568194; 139.859833座標: 北緯36度34分5.5秒 東経139度51分35.4秒 / 北緯36.568194度 東経139.859833度 / 36.568194; 139.859833
過去の名称下野英学校
私立尋常中学作新館
下野中学校
作新館高等女学校
作新学院高等部
国公私立の別私立学校
設置者学校法人作新学院
校訓一校一家
自学自習
誠実勤労
設立年月日1885年明治18年)5月28日
創立記念日9月28日
創立者船田兵吾
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制と単位制
設置学科・トップ英進部
ST・SU文系・理系クラス[TS]
・英進部
英進選抜クラス[ES]
英進クラス[EE]
・総合進学部
特別進学・進学クラス[SA]
・情報科学部
商業システム科[IC]
電気・電子システム科[IT]
電気システム科[IE]
電子システム科[IJ]
自動車整備士養成科[IM]
ライフデザイン科[IL]
美術デザイン科[ID]
普通科総合選択コース[IF]
学校コードC109310000016 (中学校)
D109310000014 (高等学校)
高校コード09501A
所在地320-8525
栃木県宇都宮市一の沢1-1-41
外部リンク公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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作新学院高等学校(さくしんがくいんこうとうがっこう)は、栃木県宇都宮市一の沢一丁目にある私立高等学校
概要

日本最大の規模と卒業生を持つ大規模校であり、ピークの1991年には4部[1]3学年合わせて約1万人の在校生がいた。長年、同一敷地内に別学の男子部・女子部を設置していたが、2003年、二つの部を統合し、「総合進学部」を設置した。現在、トップ英進部、英進部、総合進学部、情報科学部の4部で、約4千名の在校生が学び、日本一の生徒数を誇る時代もあった。敷地内に幼稚園・小学部・中等部・高等部がある。高校の分だけで、10以上の校舎、3つの体育館、3つのグラウンドを持つ[2]。校名の「作新」は、黒羽藩14代目当主大関増徳(増式)の開設した藩校「作新館」に由来する。藩校の「作新館」は、15代目当主大関増裕の海軍奉行時代の部下であった勝海舟も影響を与えたと言われている[3][4]。廃校になった作新館の名称を継承したのは、直接的な関係は無いが、創立者の船田兵吾と黒羽藩士(栃木県議)小山田辯助が懇意であったことによる。設立においては、田中正造らの協力があった。なお、「作新館」は実質的には、黒羽藩家老職、風野家屋敷跡隣地にある大田原市立黒羽小学校に引継がれている[5]。2010年4月、学校法人船田教育会から分離し、学校法人作新学院の経営する学校となる。
教育方針

一校一家 自学自習 誠実勤労
沿革
経緯

1885年、船田兵吾らによって、私塾「下野英学校」として設立された作新学院は、大正末期?昭和初期の一時期を除いて、船田家による家族経営が続けられてきた[6]
年表

1885年 - 船田兵吾らによって、下野英学校として栃木県宇都宮市馬場町に設立

1886年 - 二里山(現在の塙田町。栃木県立図書館、船田教育会館などがある場所)に校舎を建築

1888年 - 私立作新館に改称

1895年 - 尋常中学校としての許可を得、私立尋常中学作新館に改称

1899年 - 旧制中学校としての許可を得、私立下野中学校に改称

1919年 - 下野中学校に改称

1925年 - 前年に起こった事務職員の卒業証書偽造事件の影響により、経営が悪化、半官半民の財団法人下野中学校に改組

1940年 - 全民の財団法人に改組

1941年 - 財団法人作新館高等女学校を清水町(現在の千波町)に設立

1946年 - 前年校舎を焼失した作新館高等女学校を陸軍第14師団輜重兵第14連隊跡地(現在の一の沢キャンパス)に移転

1947年 - 下野中学校が騎兵第18連隊跡地(現在の一の沢キャンパス)に移転。作新館高女と下野中学校を合併し、作新学院高等部(男女共学、普通科)、中等部(男女共学)となる。財団法人作新学院を設立

1950年 - 私立学校法により、学校法人作新学院と改称

1952年 - 校章及び学院歌を制定

1953年 - 男女共学の高等部を男子部・女子部の併設に改組

1954年 - 小学部を新設

1955年 - 高等部に商学科を設置

1959年 - 高等部の図書館が完成

1960年 - 法人名を学校法人船田教育会と改称。高等部に工業科(電気科、電子科)を設置

1962年 - 高等部女子部に家庭科を設置。硬式野球部が全国初の甲子園春夏連続優勝

1965年 - 高等部にデザイン科を設置。工業科を電気科電子科に改組。家庭科を家政科に改称

1968年 - 船田兵吾生誕百年記念式典を挙行。「作新賛歌」を制定

1971年 - 高等部に情報処理科を設置

1980年 - 高等部普通科に英進クラスを設置

1982年 - 電気科に電気工事士養成コース認可

1985年 - 創立100周年記念式典を挙行。「百年誌」を発行

1988年 - 普通科の英進コースを独立させ、英進部(英進科・進学科)を設置(英進部・男子部・女子部の3部制となる)

1989年 - 高等部家政科を生活科学科に、デザイン科を美術デザイン科に改称

1990年 - 高等部情報処理科を情報科に改称

1991年 - 高等部の商業科、情報科、電気科、電子科、美術デザイン科を再編し、情報科学部(流通経済科、情報科、電気科、電子科、美術デザイン科)を設置(英進部・男子部・女子部・情報科学部の4部制となる)

2003年 - 高等部を作新学院高等学校に改称、同時に再編を行い、男子部・女子部の普通科を統合し、総合進学部を設置する。生活科学科を情報科学部に移す

2006年 - 流通経済科をビジネスサイエンス科、情報科をコンピュータサイエンス科、電気科・電子科を電気・電子システム科、生活科学科をライフデザイン科に改称。自動車整備士養成科と普通科総合選択コースを設置

2010年 - 幼稚園、小学部、中等部とともに、学校法人船田教育会から系列の学校法人作新学院(旧、学校法人作新理容美容専門学院)に運営が移管された。情報科学部ビジネスサイエンス科、コンピュータサイエンス科を統合し、商業システム科へ改称

2011年 - 文部科学省よりスーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH)指定

2015年 - 創立130周年記念式典を挙行。トップ英進部を設置

2016年8月21日 - 夏の甲子園で南北海道の北海に7対1で勝利。54年ぶりの夏の甲子園優勝

2017年 - 作新アカデミア・ラボが完成

教育課程

3つの部(2014年のカリキュラム改編により英進部内で「トップ英進部」が分割される)に分かれ、それぞれが全く異なった教育課程を持っている。授業の相互乗り入れ、単位互換等はない。また、原則として転部や転科は行われない。
トップ英進部・英進部

旧男子部・女子部の英進コース(A'などとも呼ばれた)を元に、
1988年に設置された。設置当初は英進科(国公立大学目標)と進学科(私立大学目標)の2科に分かれ、それぞれで募集を行っていたが、後に現在の形態になった。かつては併設の作新学院中等部からの中高一貫クラス(英進科に学年1クラス)が存在した。

SIクラス・SIIクラス[TS](トップ英進)入学試験の成績によって選抜されたトップクラス。最難関国公立大、医歯薬科系大学への進学を目指す。2年次以降S文系クラス、S理系クラスに分かれる。

英進選抜クラス[ES](英進)国公立大、有名私立大への進学を目指す。2年、または3年進級時にトップ英進部に転部することができる。

英進クラス[EE](英進)習熟度別授業の展開により、多様な進路希望の実現に応える。英進選抜クラス同様2年、または3年進級時にトップ選抜クラス、英進選抜クラスへ編入することができる。
総合進学部

男子部・女子部が、
2003年に統合再編されて設置された。

2014年度のカリキュラムよりクラス編成が一新され、1学年は特別進学クラスと進学クラスに統一となり、2年次以降に大学進学と専修進学の系列に分かれるようになった。


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