この項目では、人物について説明しています。中国貴州省の県については「余慶県」をご覧ください。
「智弁」はこの項目へ転送されています。近畿地方の学校法人については「学校法人智辯学園」をご覧ください。
よけい余慶
延喜19年 - 正暦2年閏2月18日
(919年 - 991年4月5日)
諡号智弁
尊称観音院僧正、観音僧正
生地筑前国早良郡?
宗派天台寺門宗
寺院延暦寺、園城寺、法性寺、大雲寺観音院
師明仙
余慶(よけい)は、平安時代中期の天台宗の僧。俗姓は宇佐氏。筑前国早良郡の出身とされるが、一説によれば日向国の出身ともいう。諡号は智弁。大雲寺(京都市左京区)の観音院にちなみ観音院僧正とも言われる。墓所も大雲寺に現存する。 比叡山の明仙
略歴
円珍の門流である寺門流は余慶によって発展し、その後山門派・寺門派の対立が激しくなるきっかけとなった。
正暦2年閏2月18日(991年4月5日)、入滅、享年73歳[5]。長保3年(1001年)2月、余慶門徒が智弁の諡号を申請[6]。寛弘4年(1007年)3月19日、智弁の諡号を贈られる[7]。
脚注^ 天元4年11月29日就任、同12月13日辞任。『小記目録』
^ a b 『日本紀略』
^ 『小右記』永祚元年10月29日
^ 『小右記』、『日本紀略』
^ 『小記目録』、『日本紀略』
^ 『権記』長保3年2月17日
^ 『御堂関白記』
参考
摂関期古記録データベース