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何 儀(か ぎ、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の人物。黄巾軍頭目の一人。 黄巾の乱が鎮圧された後も、汝南郡・潁川郡において、同じく頭目である劉辟・黄邵・何曼らと共に数万の軍勢を擁していた。しかし一時は、袁術や孫堅の配下になっていたという。建安元年(196年)2月、曹操はこの黄巾軍を討伐して撃破に成功し、劉辟・黄邵らを斬った。何儀は部下と共に曹操軍へ降伏した。その後の事跡は不明である。 小説『三国志演義』でも、史実同様に汝南郡・潁川郡を拠点にしており、曹操の攻撃を受けている。何曼を討ち取られ、黄邵を生け捕られると、何儀は戦意を喪失して逃走。しかし、当時未だ独立勢力だった許?に急襲され生け捕られてしまう。その後、曹操軍に引き渡され処刑されている。
正史の事跡
三国志演義
参考文献
『三国志』魏書1武帝紀
『三国演義』
更新日時:2020年8月15日(土)00:40
取得日時:2021/09/09 20:37