英語圏での類語については「ジョック」をご覧ください。
体育会系(たいいくかいけい)とは、課外活動の分類の一つである。転じて、それらに属する人々やその性格・気質のステレオタイプを意味する。対義語は文化系である。 精神論(根性論など)、上下関係、体力の重視を特徴とする。日本では大学クラブ活動(いわゆる体育会に属する)やスポーツ選手養成組織で育まれることが多いことから「体育会系」と呼ばれる。素地は少年野球などの学童向けスポーツや中学校・高等学校の運動部の段階で養われている[1]。 このような風潮はアメリカ合衆国でもみられ、男子は「ジョック」、女子は「クイーンビー」と呼ばれる。男子であれば野球やアメフトのチーム、女子であればチアリーディング部に所属することは、ジョック/クイーンビーの中でも人気になれるといったステレオタイプがある。ただし、「体育会系」はスポーツや厳格な上下関係への傾倒や、それで培った粘り強さやコミュニケーション力など性格面への言及が主であるに対し、「jock」は加えてクリーク(スクールカースト)上位であることを含む。 いわゆる「文化系」の代表と位置づけられる「演劇」「吹奏楽」「合唱」といった公演系のクラブやサークルについても、基本的にチームワークで活動することや運動部と同様に指導者によるスパルタ式指導とそれ相応の体力も要求されるため、(発声練習、発声や管楽器を吹くための体力のためランニングや腹筋トレーニングが行われるなど)体育会系的要素が濃く存在する場合もある。 日本の部活動やスポーツ界は、先輩(または実力のある上位者)への批判はおろか、疑問を抱くことすら許されない体質、年齢主義的で年功序列・上意下達型の縦社会を形成する場合が多い。例えば大学の運動部を表す表現に「4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷」というものや[1]、相撲界を表す表現に「無理偏に拳骨と書いて兄弟子と読ませる」などといったものがある[2][3]。 各大学の応援団や体育会系クラブが変わりつつある。かつて(1990年代以前)は厳しい上下関係、飲酒の強要などの通過儀礼が多くあったが、近年の学生の気質や価値観の変化などもあり、部員の確保に困難なことなどから「未成年者に酒を飲ませない」「授業を優先させ、アルバイトを許可制にする」など厳しさを保ちつつ、時代の変化に応じた改革を行う応援団が相次いでいる。またパワーハラスメントなどの認識が社会に広まったことで、先輩部員による度が過ぎた「しごき」と称する厳しい指導などは「鍛錬の名を借りたイジメ」と取られ、見直されるようにもなっている[4]。 高校球児の頭髪には年長者を中心とした周囲の固定観念が根強く残る。地方予選を勝ち残り、チームが甲子園に立った時、監督は選手の頭髪を自由化すると、特に年配のOBやファンから「球児らしくない」と苦情が殺到した。しかし、頭を丸めることを強制することは明確な体罰(暴力)と定義されている[5]。アメリカ合衆国のスタンフォード大学アメリカンフットボール部の河田剛コーチは、「日本人はケガをおしてやり続けることが素晴らしいと思っている。それは間違いであり、早く改善されるべき課題である」と述べている[6]。 スポーツライターの相沢光一 スポーツライターの玉木正之は、日本ではスポーツを「体育」として捉え実践し続けてきた背景があり、学校で行うスポーツの目的がそれを通じた体力養成、人格形成、社会的ルールの体得、協調性ある良き社会人の育成に重点を置いているからで、その「体育的教育観」とスポーツとを混同させ、現在においてもスポーツの場で同様の考えを最優先している指導者が少なからず存在すると述べる。玉木は、スポーツに様々な教育的効果があるのは認めつつも、それを一般社会とは切り離して扱うべきと説いている[8]。 また相沢と玉木は、先輩後輩を軸にした体育会系という特殊な縦関係はフィールドの外にも広がり、学校の卒業及び会社の定年退職後も先輩が社会でも優位に立つ、厳密な縦社会が形成されているとしている[7][8]。 古代ギリシアの優生思想で、軍国主義的政治を尊ぶ厳格な教育制度はスパルタ式と後世に呼ばれ、こうした人材育成はスパルタ教育と言われる語源となった。男性は、戦争に出ても生きて帰って来れるような健康でしっかりとした子を期待され、質実剛健、忍耐と服従を身につけさせた。スパルタは人類で初めて結婚を制度化し、国民皆兵制度と軍事組織の維持の為の結婚であり、その中で、女性にも体育が奨励され、健康な子を持つことが期待された。女性はまず子作りが最優先とされ「強い子供を産める母体の育成」のために幼少期から厳しい体育訓練を受けていた。このような歴史的事実から転用され、現代日本では厳しい教育一般について、比喩として「スパルタ教育」と呼ばれることがあり、これも「体育会系」と関連付けられることがある。 公務員組織においては特に顕著に見られ、地方・国家公務員のいずれも「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」ことが公務員法で明確に規定されており、公務員には上司の適法な職務上の命令に服従する義務があることから、公務員組織は厳格な上意下達型の命令系統を重視する体育会系の組織文化である[9]。 学生生活における体育会系的な文化は日本の一般社会においても顕著だ。日本における職業高校(商業高校、工業高校など)が公立高校であっても野球を始めスポーツ大会で好成績を収めている理由の一つに「(上下関係の大切さと強靭な肉体と精神力を鍛える)運動系部活動を推奨し企業にとって役に立つ人材を輩出する」ことを第一としているとみられる(他に全県1学区であり県内であればどこからでも入学可能という実情もある)。日本の企業もやはり年功序列を基礎としているため、体育会系的な価値観の者は「礼儀正しい」、「強い精神力がある」、「目上の者を立てる」などの好印象を持たれることが多く、古くから組織の構成員として好まれ、採用されてきた[7][10][11]。ただし、自ら考えることなく監督やコーチ、上級生の言うことに唯々諾々と従い、大学や高校などの学校組織に守られながら学生生活を送る体育会系学生の中には精神的に弱い者も多いという評価もあり[12]、近年は“体育会系である”という要素がプラスに働く傾向が1970年代から1980年代の頃に比べて弱まってきているという見方がある一方[13]、まだまだ体育会系学生はホワイトカラーをメインとする企業から根強い人気があり[14]、体育会限定の合同企業説明会も開催されている[15]。特に、いわゆるブラック企業では、達成困難な目標に従順に向かうことを、当人の健康を軽視して強要する体質がある。 体育会系は肉体的かつ精神的タフさ、打たれ強さ、忍耐力を備え[16]、さらに「上下関係をわきまえ、たとえ本心では嫌だと思う命令でも従う忍耐力」をもち[16]、勝ちパターン、成功パターンをつかんでいる[16]と肯定的に評価する人もいる。一方、時には社会規範を超えてすら上司や組織に対する忠誠心は高いこと、同僚や部下に対する配慮が体育会系以外の社員より意識が低いことから、社内環境を悪化させる危険因子にもなり得ると指摘する者も多い。そういった背景から、さまざまな価値観の人たちと協力、広い視野で客観的に判断して、ゼロから何かをつくりあげるといった、創造性やクリエイティビティに対する高い資質を求めるようなところには不適格であると判断されるケースが目立つ[16]。また経営学者で組織論が専門の太田肇・同志社大学教授は、そのような組織や上司に従順かつ忠実で、しっかり序列を守るような体育会系の人間を「イヌ型人間」と表現している[17]。 不条理な精神論がまかり通り、ルールや上の命令には絶対服従といった「体育会系」の体質をもつ組織が存在する[18]。
概説
背景
体育会系と日本の社会